映画「私のはなし部落のはなし」を観て

部落をめぐる歴史

映画「破戒」(2022)部落差別をテーマにした作品
【画像引用 ムービーウォーカー】
今回の記事は満若勇咲(1986~)監督作品の映画「私のはなし部落のはなし」(2022)についてです。
この映画は部落問題について、様々な人にインタビューを行い、それをまとめたものです。4時間あまりの作品で、途中休憩をはさんで上映されました。この映画では人名はもちろんのこと、あえて部落の地名も紹介して、すべてを明らかにする形で紹介しています。また歴史研究家による部落の歴史考察も紹介され、歴史的背景を理解しながら、映画の内容を理解できるようになっています。いくつもエピソードが紹介されますが、特に筆者の印象に残ったものをいくつか紹介したいと思います。
時代とともに様々な問題が解決されていく中で、現在もなお残っているのが「結婚差別」です。相手の親のところに行って部落出身であることを伝えたら、塩をまかれて追い返されたという話には、筆者も心が痛みました。
私たちは部落というと、町はずれの閉塞した場所にあるのでは、という先入観を持ちがちですが、実際は都市化によって場所の特定は困難になっており、若い人の中には自分が部落の出身であることを、知らないケースも多くあるそうです。また地価や住宅などが廉価になっているため、生活困窮者が部落に引っ越して来た場合も多く、これは別の書物で読んだことですが、長年住んでいたため地域の人も、転入者を部落出身者だと思い込んでいたということも多くあるようです。
歴史的な話として、大正時代に米騒動が勃発したときに、国は背景にある貧困問題を隠すため、騒動を起こしている大半は、部落出身者だとのデマをマスコミ(当時は主に新聞)ぐるみで流しました。また騒動の首謀者も、一般人はおとがめなしとして、部落出身者のみ懲役刑にするという露骨な差別を行ったため。部落主犯説を信じた一般人による、部落の焼き討ちが行われたそうです。

差別者の考え

メルカリで販売された示現舎の部落地名総鑑
【画像引用 Twitter】
この映画の最大の特徴は、差別する側の「意見」を聞いたことです。
1975年「部落地名総鑑」という名称で、全国の部落の地名・場所を明らかにしたもので、上場企業を中心に200あまりの企業が購入し、面札の際などに利用されたそうです。このことが明らかになり、企業に対する批判が起こり、回収を余儀なくされました。「部落地名総鑑」はすべて回収され、焼却されたそうです。しかしその情報はネットにばらまかれ、現在に至るまで、自由に見ることが出来るようになっています。
これらは基本的に匿名で行われているものが大半なのですが、はっきりと名前を公表して閲覧できるようにしている人がいます。それが映画に出てくる鳥取ループ/示現舎代表の宮部龍彦さんです。部落解放同盟はこの件で宮部さんを提訴し、地裁判決では損害賠償とネット公開の削除が命じられました。裁判は双方の控訴により現在も続いています。
この裁判の中で宮部さんは「復刻版が出たことで死者が出ましたか」と発言したそうです。もちろん差別のために自死した人は多くいますが、発言の趣旨は今回の公開で、具体的な自死の因果関係があるのかと問うたのだと思います。
宮部さんの行動の根底にあるのは、どうやら既存の運動に対する批判があるようです。差別が存在するのは、同和事業などで利権がからみ不祥事が起こっていることをあげ、「同和事業が差別を産み出している」と言います。しかしそれがなぜ部落地名総監の公開につながるのかを語ろうとはしません。また全国の部落に赴いて写真を撮り、それを「部落探訪」の名で、ネットでさらしています。また宮部さんは「差別した本人が悪いのであって、情報を載せた自分は悪くない」とも述べています(この考え方は、アメリカで銃規制に反対する人たちの考え方に似ているように思えます)。
もうひとりの「差別者」は匿名の女性の高齢者です。彼女は武家の出自を誇りに思っており、「血が混じる」ことを嫌悪しています。一方、彼女は近隣の部落の家族と普通に近所づきあいをしているそうです。「地域で生きていくためには仕方がない」そうです。これらの発言がはっきりとした形で映像で語られることは、恐らく初めてではないかと思います。
この映画が注目を浴びたのは、この部分によるところが大きいです。しかし映画中では彼らの発言が紹介されるだけで、それに対するコメントがあまりありません。そのためかこの点を問題視して「なぜ批判をきちんと行わなかったのか?」という評論もありました、しかし、もし劇中で批判を行っていれば、そもそもこういった発言は聞かれなかったでしょうし、場合によっては訴えられる可能性もあったように思います(実際に従軍慰安婦をテーマにした映画で、発言者が公開後に映画製作者を訴えるケースがありました)。しかしこの映像は当事者にトラウマを引き起こしかねない内容です。筆者も正直答えが見つかりません。

監督の想い

満若勇咲監督
【画像引用 VICE】
この映画を撮った満若勇咲さんには過去につらい体験がありました。そのことがこの作品を作るきっかけにもなっています。
監督の学生時代、「にくのひと」(2007)というタイトルで、部落内にある屠場(家畜を解体し、精肉にするところ)をテーマにしたドキュメンタリー映画でした。
監督は真摯に作品に取り組んだのですが、理解不足のため結果的に差別を煽りかねない内容になってしまい、出演者からも批判されることになり、映画は公開されることなく封印されました。
この経験から、安直に部落をテーマにした作品を、自分は作らない方がよいと思ったのですが、7年経ってそれでは逃げているだけだと思い、「にくのひと」の反省もふくめて作られたのが、この作品でした。
「差別」をテーマにした作品を、当事者でない人間が作るのは難しいものがあります。それは部落問題だけでなく、障害者、外国人、ジェンダーなどをテーマにした作品でも言えるかもしれません。また当事者でない人間が、差別の痛みをどこまで描けるのかという想いもあるように思えます。しかし当事者でないからこその視点もある訳で、この映画の差別者側の意見を取り上げたことは、当事者でなかったからこそ出来たのだと筆者は思います。この映画それを観る者に突きつける作品だと思います。

私にとっての部落問題


さいぼし~部落の伝統食
【画像引用 安井商店HP】
部落問題に関して以前筆者も記事を書いたことがありました。
私が辿ってきた他者との関わり(1)
そこではあまり触れませんでしたが、私の知っている部落の人は、紹介してくれた人の関係もあって、大半の人が「運動家」でした。これは他の事柄でも言えることですが、運動家と呼ばれる人は自分の考えをはっきり持っています。なので運動家の考え方は、当事者全体の意見を代表していると思いがちですが、実際にはそうでないことが多いように思えます。
映画でも発言している人の多くは運動に関わっている人なのですが、この映画の良いところは、「運動家の公式発言」にとどまらない、日々の暮らしの中の楽しみや喜びを語り、それが差別によって崩される現実が多く語られています。映画が最も多く時間を割いているのはそこなのですが、これは私が説明するより、実際に映画を観て感じ取ってもらえる方が良いように思えます。
監督は全体的に解釈を挟まず、互いに矛盾する事柄も含めて、事実をありのままに提示しています。人によってはその点に物足りなさを感じるかもしれません。しかしそれは観る者ひとりひとりが自分で考えるために、あえて答えは出さない監督の誠実さのように思えます(この点は以前紹介した「水俣曼荼羅」にも通じるものだと思います)。そしてこの映画は部落問題にとどまらず、ある意味私たちが知っているのとは違う、別の「日本」を描いた作品ともいえます。多くの人に観てほしい映画です。

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local_offerevent_note 2022年9月9日
  • スピノザ

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