2人のデザイナーの生涯とファッション

第二次世界大戦前後のファッションを語る上では欠かせない、対照的な2人のファッションデザイナーがいます。ココ・シャネルとクリスチャン・ディオールです。「シャネル・スーツ」を創り出したココ・シャネルと「ニュールック・スタイル」を創り出したクリスチャン・ディオール。2人のファッションデザイナーの生い立ちと「シャネル・スーツ」と「ニュールック・スタイル」を創り出した当時の時代背景、2人の言葉から筆者が考えることを掲載します。

〇2人のデザイナーの人生

ココ・シャネル

1883年にフランス南西部で誕生。本名はガブリエル・ボヌール・シャネル。ココの愛称には諸説ある。父親は貧しい行商人だった。12歳で母親が他界。父親はココを修道院が運営する孤児院に預けた後に失踪。孤児院での生活は厳しかったが、縫製技術を身に付ける。18歳で孤児院を出ると、お針子と歌手のダブルワークで生計を立てるようになる。やがて帽子のアトリエをはじめ、ブティックやアクセサリー店、香水店などを次々と開店。第一次世界大戦中に動きやすさを重視したパンツスタイルのファッションを発表して評価を得る。第二次世界大戦が勃発すると、全てのブティックの閉店と従業員全員の解雇をせざるを得なくなる。フランスがドイツ(ナチス)の占領下から解放された後、ドイツ人将校やドイツの諜報員と親しかったことから、スパイの疑いをかけられフランス軍に逮捕される。イギリスの当時の首相チャーチル氏の計らいで釈放されるも、スイスでの亡命生活を余儀なくされる。71歳でフランスに戻りブティックを再開、シャネル・スーツを発表しアメリカで高い評価を得る。1971年に逝去。享年87歳。

ココ・シャネル(1901年頃に撮影)

【画像引用 VOGUE ON ココ・シャネル

クリスチャン・ディオール

1905年にフランス北部で誕生。本名同じ。肥料工場を経営する裕福な家の次男として育つ。両親の希望で外交官になるために進学するが、勉強のモチベーションは、長くは続かなかった。幼いころからアートに興味を持ち、23歳の時に画廊を開く。1930年に世界恐慌のあおりをうけて、画廊と実家の肥料工場の経営が破綻し財産を全て失う。友人宅を転々とする中で、結核を患う。数年の療養の後、パリで雇われのデザイナーとして生計を立てる。第二次世界大戦中に1年ほど兵役に就く。兵役を終え、デザイナーに復帰後は、ドイツの占領下のフランスで、フランスのファッション文化を途絶えさせないために、ナチスの高官の妻たちのドレスのデザインの仕事を行う。終戦後の1946年に41歳で独立し、自身のブランドを創設。1947年に42歳でニュールック・スタイルを発表して本格的にデビューし話題となる。1957年に休暇先のイタリアで急逝。享年52歳。

クリスチャン・ディオール(1947年頃に撮影)

【画像引用 VOGUE ON クリスチャン・ディオール

ココ・シャネルは財産らしい財産がない若い頃から少しずつデザイナーとしてのキャリアを積み重ねていきました。クリスチャン・ディオールは、裕福な家の次男から無一文と病気になり、経営者から雇われの身、さらには兵役に就くなど様々な経験を得て遅咲きでデザイナーの仕事にたどり着きました。ココ・シャネルは働く女性向けにファッションに動きやすさを重視したのに対し、クリスチャン・ディオールは富裕層の女性を顧客にし、ファッションに女性らしさを重視しました。2人のデザイナーはほぼ同じ時代に生きながらも、歩んだ人生も顧客の層もファッションで重視するものも異なります。しかし、ファッションに上品さを忘れなかったことは共通しているように思えます。

動きやすさを重視したココ・シャネルの1910年代のデザイン

左はイヴニング・ガウン、右はドレス

ココ・シャネルは働く女性向けに動きやすい服のデザインを目指した

【画像引用 VOGUE ON ココ・シャネル

女性らしさを重視したクリスチャン・ディオールの1950年代のデザイン

クリスチャン・ディオールは主に富裕層の女性をターゲットにした服のデザインを行った

【画像引用 VOGUE ON クリスチャン・ディオール

〇シャネル・スーツの誕生

1956年に、ココ・シャネルは亡命先のスイスからフランスに戻り、70歳を過ぎてシャネル・スーツを発表しました。ココ・シャネルは、クリスチャン・ディオールのニュールック・スタイルを見てシャネル・スーツを発表しました。

ニュールック・スタイルとシャネル・スーツについて説明する前に、ココ・シャネルがファッションで成功した理由を少し時代を遡り説明します。ココ・シャネルが最初に自分の店を開いた頃、世界は第一次世界大戦に突入します。徴兵で男手が足りなくなり、女性たちが様々な労働に従事するようになります。そうなると、女性たちは必然的にファッションに華やかさよりも動きやすさと機能性を求めるようになります。そのため、動きやすさと機能性を重視したココ・シャネルのパンツスタイルは、働く女性たちのニーズに見事に応えたのです。

1950年代のシャネルのパンツ・スタイル

【画像引用 VOGUE ON ココ・シャネル

ある意味では、時代がココ・シャネルに味方をしたと言ってもいいかもしれません。その後、ココ・シャネルは第二次世界大戦の影響でデザイナーとしての活動が難しくなり、「もはやファッションの時代ではない」と言い残して表舞台を去ります。

〇ニュールック・スタイルの誕生

1947年。クリスチャン・ディオールがニュールック・スタイルを発表します。ウエストを絞りスカートを広げたスタイルは、戦中戦後の殺伐さからの解放の象徴として、一大旋風を巻き起こしました。ニュールック・スタイルの発表は、戦中戦後の殺伐さからの解放の象徴としてだけではなく、モードの中心地のパリが復興したことを示す役割もありました。女性らしさを重視したスタイルは、当時のフランスのファッションに必要な要素だったのでしょう。また、クリスチャン・ディオールは主な顧客を富裕層の女性たちにしていました。物資が少ない戦中戦後は、フランスの富裕層の女性たちといえども華やかに着飾ることは難しかったと思います。戦後に富裕層の女性のニーズに応えるとなると、自然と女性らしさと華やかさを重視することになります。

クリスチャン・ディオールのニュールック・スタイル(1947年頃)

【画像引用 VOGUE ON クリスチャン・ディオール

ニュールック・スタイルは人気になる一方で、戦後で物資が不足していた時代に、布を惜しみなく使う高価な服だったという理由から、貧しい女性たちの抗議活動の対象となります。ただ、ニュールック・スタイルへの抗議活動は、物資の不足が解消されるにつれてなくなっていきました。

ココ・シャネルもニュールック・スタイルを非難しますが、理由は高価だからではありません。ニュールック・スタイルはコルセットを使用することや時代に逆行したような動きを制限されるスタイルが流行していることを非難しました。ココ・シャネルは70歳を過ぎていたにも関わらず、デザイナーとして復帰しシャネル・スーツを発表します。動きやすいシャネル・スーツは、アメリカで高く評価されました。当時のアメリカでは、働く女性が台頭し、動きやすくてなおかつ上品なシャネル・スーツは仕事着にはぴったりでした。元々ココ・シャネルは、働く女性向けの動きやすい服を作っていたので、スーツを作るのはさほど難しくなかったのでしょう。

ココ・シャネルが考案したシャネル・スーツ(1957年頃)

【画像引用 VOGUE ON ココ・シャネル

機能的なシャネル・スーツと女性らしいニュールック・スタイル。ココ・シャネルとクリスチャン・ディオールはデザイナーとしての顧客層が全く違うため、それぞれのデザインの特徴が異なるのは当然ともいえます。ただ、現在は双方共に世界的ブランドの創業者として高く評価されています。

今回はココ・シャネルとクリスチャン・ディオールの生涯とファッション・スタイルについて掲載しました。2人は様々な言葉を残していますが、次回はその言葉から筆者が考えることを掲載したいと思います。

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local_offerevent_note 2020年6月2日