コナン・ドイルはどんな人?

〇シャーロック・ホームズの人物相関図

【画像引用 コンプリート シャーロック・ホームズ】

「シャーロック・ホームズはどんな人?」と聞かれたら、おそらく多くの人が、「世界一有名な探偵」、「ロンドンのベイカー街221Bに住んでいる」、「科学実験とヴァイオリンが趣味」など多くの答えが出ると思います。

〇ホームズが住んでいるとされるベイカー街221B

【画像引用 Google マップ】

では、「シャーロック・ホームズを書いたアーサー・コナン・ドイルはどんな人?」と聞かれたら、どれくらいの人が明確に答えられるでしょうか。

以前に、「児童書を文学の入門として読んでみるのもあり!?」の記事で、シャーロック・ホームズシリーズの本を紹介しましたが、今回は原作者であるアーサー・コナン・ドイル氏のことを紹介したいと思います。

〇コナン・ドイルの写真

【画像引用 ヤフー画像】

児童書を文学の入門として読んでみるのもあり!?

〇出生、反骨精神と騎士道精神

アーサー・コナン・ドイルは、1859年5月22日にスコットランドのエジンバラで誕生しました。父親は土木局の技師、母親は下宿屋の娘でした。両親はカトリック教徒であるということは共通していましたが、性格や考えが対照的だったようです。父親は技師ではありましたが、芸術家一家の生まれで自身も芸術家気質だったこともあり、収入や出世などにさほど関心がなかったようです。そのため一家の暮らしは貧しいものでした。対照的に母親は現実的で教育熱心でした。自身も教養があり、頼りない夫に代わって一家を取り仕切り、家族の生活と子どもたちの教育のために朝から晩まで働き通しました。幼いアーサーに教養だけでなく、騎士道精神を教え込みました。「騎士は強くなければいけない」と幼いアーサーが近所の子供とのけんかに負けて帰ってくると叱り飛ばしてまたけんかに行かせ、勝って帰ってくるとどんなに服が汚れていても叱らずにほめました。アーサーの頑固で負けず嫌いな性格は、このときに形成されたようです。さらに進学した学校での厳しい教育が性格と反骨精神を増長させました。シャーロック・ホームズは、上流社会に対して複雑な感情を持つ人物として描かれていますが、それはアーサー自身が経験した貧しい暮らしや学校生活への批判に加えて当時の階級社会や社会の貧富の差への精一杯の抵抗が込められているのかもしれません。

 

〇1800年代のスコットランドのエジンバラ

【画像引用 123RF】

〇医者から小説家へ

大学の医学部に入学し卒業したアーサーは、仕事でも私生活でも紆余曲折を経て眼科医として開業します。しかし患者は一向に来ず、時間を潰すために小説を書き、その小説を出版社に送ったところ大人気となりました。その小説こそシャーロック・ホームズシリーズの「ボヘミアの醜聞」と「赤毛連盟」です。この時32歳だったアーサーは、作家人生の第1歩を踏み出しました。患者が来なかったために小説を書く時間があったことが良い方向に働いたといえます。もし病院に患者が来て繁盛していたら、シャーロック・ホームズシリーズは存在しなかったかもしれません。まさしく「災い転じて福となす」です。シャーロック。ホームズシリーズに短編が多いのは、暇な時間に書いていた名残なのかもしれません。

〇ボヘミアの醜聞 洋書

【画像引用 ヤフー画像】

〇赤毛連盟 洋書

【画像引用 ヤフー画像】

〇なぜホームズを滝へ?

小説や映像作品でご存知の方も多いかもしれませんが、ホームズは最終的に宿敵であるモリアーティ教授と共にライヘンバッハの滝から転落しました。なぜアーサーはホームズとモリアーティ教授の決着にこのような結末を選んだのでしょうか。その理由として、シャーロック・ホームズシリーズがアーサーの想像を超えたブームになったことが挙げられます。本来なら喜ばしいことですが、シャーロック。ホームズシリーズは短編が多いので、アーサーは毎回プロットを考えなくてはなりませんでした。その作業だけでも大変ですが、さらに締め切り厳守を出版社から言われ、かなりのストレスがあったようです。もうひとつ、アーサーに純文学の作家として成功したいという気持ちがあったこともあるようです。このような理由から、アーサーはホームズを死なせるという結論に至ったようです。他にも結末はあったと思いますが、ある種の極論に至るということは、かなり追い込まれていたように筆者は思えます。ただ、ホームズは後にライヘンバッハの滝から生還します。

〇ライヘンバッハの滝

【画像引用 ウィキペディア】

〇心霊主義と晩年

晩年のアーサーは心霊主義に傾倒していました。これはアーサーが特殊だったわけではなく、当時のイギリス全体がそのような雰囲気だったのです。理由は第一次世界大戦で多くの犠牲者が出たことです。親しい人を亡くした人々の中に、もういちど死者と話したいという思いが芽生え始めました。アーサーもこの戦争で義弟や甥など親しい人々を亡くしました。現代でも心霊系のメディアは一定の人気がありますが、死者と話がしたい、真意が知りたいという気持ちは今も昔も変わらないのかもしれません。30年余り心霊について研究を続け、1926年に「心霊主義の歴史」という本を出版します。本の中には「コティングリー妖精事件(※)」についても記されています。「コティングリー妖精事件(※)」は、アーサーの公表によりイギリス、さらには世界を巻き込んだ事件に発展しました。

1930年、アーサーは家族に看取られて71年の人生を終えました。

アーサー・コナン・ドイルは、一言でいえば、「頭が良すぎで不器用」な人だったと筆者は思います。頭が良すぎるために、他の人には分からないことが分かってしまい、かといって立ち回れるだけの器量もなかったので苦労も多かったと思います。ただ、考え続けたことがシャーロック・ホームズという世界一有名な探偵を創作する基盤となったのも確かだと思います。

小説を読むときは、作者がどんな人だったのか、どんな人生だったのかも調べてみると新しい発見があり面白いかもしれません。

※コティングリー妖精事件

1916年に、イギリスの田舎町のコティングリーに住む2人の少女が写真で妖精の存在を証明した事件です。上記のようにアーサーの公表により世界的な論争となりました。49年後に高齢となった2人の少女が捏造したと告白しましたが、1枚だけ他とは明らかに様子の違う写真があります。その1枚の写真の真偽は未だに解明されていません。

 

〇コティングリー妖精事件で論争を呼んだ写真。49年後に映っている少女が捏造したと告白しました。

【画像引用 世界の未解決問題】

 

コンプリート シャーロック・ホームズ

Google マップ ベイカー街 221B

123RF スコットランド エジンバラ

ヤフー画像 A Scandal in Bohemia

ヤフー画像 The Red-Headed League

ヤフー画像 コナン・ドイル

ウィキペディア ライヘンバッハの滝

世界の未解決問題 コディングリー妖精事件

新星出版社 ボヘミアの醜聞 赤毛連盟

海竜社 名探偵ホームズとドイル ヴィクトリア時代の一つの人生、二つの履歴書

 

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local_offerevent_note 2020年3月16日