「冷笑主義」の誘惑

とにかく人をバカにしたい

西村博之さん
【画像引用 個人ブログ】
最近、沖縄の反基地運動について述べたひろゆき(西村博之)さんのコメントが話題になりました。そしてそれについて意見を述べた雨宮処凛さんの記事を目にしました。その雨宮処凛さんの文章の引用から話を始めたいと思います。
(以下引用)
ひろゆき氏のTweetが大きな批判を浴び、波紋を広げている。
辺野古の座り込み現場に行った、アレだ。
「新基地断念まで座り込み抗議3011日」と書かれた看板の横でピースサインするひろゆき氏。そんな写真とともに投稿された言葉は「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」
このTweetを見て、久々に、満面の笑顔が暴力になりうることを思い知った。
Tweetにはこの原稿を書いている時点で28万を超す「いいね」がついているものの、当然、抗議も殺到。多くの人が怒りを表明している。
私も怒りを強く持つ一人だが、一方で、あのような「笑顔での侮辱」は、これまで幾度も目にしてきたものでもある。多くのヘイトデモの場はもちろん、振り返れば、私が20代前半の頃にどっぷりハマっていた90年代サブカルの頃から、うんざりするほど目にしてきた。
冷笑的で、何かに必死になっている人を馬鹿にするような態度、振る舞い。不愉快だけれど、それは私が生きてきた中で、常に隣にあるものだった。この感覚は、この世代の多くに共通するものではないだろうか。ちなみに45歳のひろゆき氏と47歳の私は同世代だ。
(中略)
一方、私には、同世代の人々が冷笑的になる理由もどこかでわかる。
自分自身、2006年から16年間、政治に声を上げてきた。今、声を上げ始めた当時の自分を振り返ると、「なんて素朴に政治や社会を信じていたのだろう」とため息をつきたくなってくる。
声を上げ始めたのは31歳の頃。ロスジェネの不安定雇用や生存権を巡って政治に働きかけてきたのだが、当時、私の中には「政治は絶対に自分たちを見捨てない」という思いがあった。少子高齢化の中、次のベビーブームを担う世代として期待されているという実感が確かにあったからだ。この世代が不安定雇用にあえぎ、結婚にも出産にも子育てにも前向きになれないことを伝えれば、きっと社会は変わる。そう信じていた。まだ若い自分たちが見捨てられるなんて、思ってもいなかった。
あれから、16年。
結局、私たちの声はどこにも届かなかった。そしてこの世代は今、50代になろうとしている。その間に多くの同世代が自殺し、ホームレス化した。
この現実を思うと、冷笑的にだってなりたくなる。「社会は変わる」と信じていた自分を茶化したくもなる。そんなことやってもなんの意味もないよ、と。
そんな経験を通して思うのは、「どうせ何も変わらない」と冷笑的な態度をすることは、自己防衛の手段でもあるということだ。期待してしまうとそれが外れた時の落胆が痛いから、あらかじめ何もしないし期待もしない。それが傷つかないで生きる唯一の方法。多くの人がそうして自分を守っているのだろう。
(引用終わり)
事件の詳細は下記の記事を参考にしてください
「いろんな人を傷つける」
雨宮処凛さんの文章の全文は下記のとおりです
冷笑という暴力と

「揶揄」と「批判」の狭間

【画像引用 PINTERREST】
私は初めてこの文章を読んだとき、感慨と共にどこか自嘲的で複雑な気持ちに襲われました。この感情は、思えば不登校を始めた中学生のころから、ずっと心の中に刻み込んできたように思えます。別の文章でも書きましたが、不登校時代、私は世界全体を呪っていたように思います。しかもこの間違った世界を、変えていくのではなく、滅ぼしてしまうほうが良いのではと思っていました。
もちろんここにあったのは、思春期特有の肥大化した自我と、現実の無力感の狭間に産まれた(今なら中二病やセカイ系と言われるであろう)幼稚な考え方でした。しかしそれだけではなく、当時流行っていた「終末論」の影響も受けていたように思います。1970年代の中頃から、経済成長にも陰りが見えるようになり、公害問題が世間を賑わし、70年万博が描いた輝かしい未来が、色あせていく時代でした。幼稚ではあってもそのことに大きな影響を受けていたように思います。
そんな私にとって冷笑的な笑いは、自分の気持ちに寄り添うもので、筒井康隆の小説、モンティパイソンのコント、古典落語のブラックな笑い、そして(以外に思われる方が多いと思いますが)チャーリー・ブラウンの自嘲的な孤独感が、私の「ともだち」でした。
しかし児童相談所に入所「させられた」時に、私は今まで知らなかった現実を知りました。貧困、シングルマザー、障害者差別、低学歴への蔑視、などなど。言葉の上では知っていましたが、現実は私の予想を超えたものでした。いままで恵まれていないと思っていた自分が、両親がいて経済的に苦労もしない存在であることを知りました。それから呪いは世界ではなく、自身に向けられるようになりました。

【画像引用 YouTube】
私は、高校時代以降、自嘲をやめて、社会に関わる運動に参加するようになりました。その中でボランティア活動にも参加して、外側に目を向けるようになりました。
この選択は間違ってなかったと思うのですが、現実に社会運動の参加するといろいろな矛盾にも突き当りました。運動の中にある権威主義や、男尊女卑の考え方、自分たちの思想を絶対視する(今から考えたらカルトと言ってもよい)独善性。また別の記事でも書きましたが、交際中の私の妻が運動の中でセクハラにあったりしました。
こういったことから社会運動に少しづつ疑問を持つようになり、次第に離れていくようになりました。ただ社会運動そのものを否定したい訳ではなく、なにかあれば関わることもありました。
ひろゆきさんが、こういったことを知っている訳ではないと思うのですが、正直にいうとこういった揶揄したい気持ちは、判らないでもないです。もちろん多くの社会運動にかかわっている人たちは、権威主義や独善性に関わらずに、誠実に行動を行っていることは知っています。だからこそその気持ちを汲み取ると、それ利用していることが多い、運動の指導者を批判したい気持ちは私にもあります。しかしそれは「揶揄」ではなく、まっとうな「批判」として行うべきだと思います。ひろゆきさんの「揶揄」は指導者より、現場に誠実に関わっている人たちを傷つけているだけのように思います。

ぼくたちの失敗

堀江貴文さん
【画像引用 ニフティニュース】
近年、ひろゆきさん以外にも、こういった冷笑主義的な論客が増えているように思います。例を挙げれば、ホリエモン(堀江貴文)さんや、橋下徹さんなどがいます。また安倍晋三さんを射殺した容疑者も、ネットで冷笑主義的な発言をしていたようです。彼らはほぼ同年代で(ひろゆき1976~、ホリエモン1972~、橋下徹1969~)、現実に対して批判的ですが、基本的に今の社会のシステムを肯定的にみており、社会を変革しようとする運動には懐疑的で、SNSを駆使しているところが、共通しているように思います(ただし相互の関係は友好的ではないようで、特にホリエモンさんはひろゆきさんに対してかなり批判的です)。
彼らを賛美しているのは、若い世代に多いようです。また支援者は社会的弱者や貧困層に多いと言われていますが、きちんと統計的に調べられているようではないので、はっきりとしたことは判りません。彼らの賛美者は、既存の社会システムに載らないで出世した「勝ち組」として評価しており、それが人脈や学歴のない若い人たちに評価されているというのが世間の見方です。しかし私はそれに関して少し疑問を感じています。かれらは正真正銘の「勝ち組」には思えないのです。

橋下徹さん
【画像引用 スポーツ報知】
まずひろゆきさんですが、2ちゃんねるというSNSコンテンツを立ち上げたことで有名です。その後2ちゃんねるからは離れて、現在は夫婦でパリで生活しており、これまでのコンテンツの権利や、YouTube配信の広告収入で生活しています。これだけ見ると文字通りの成功者ですが、少し考えてみるとそうとも言えません。
たしかに2ちゃんねるは当初は新しいコンテンツとして注目を浴びましたが、多分に閉鎖的なところがあり、新しく入って来ようとする人を排除する傾向がありました(この時まだ小学生だった声優の上坂すみれさんが、よく判らないまま2ちゃんねるに入ってしまったそうですが、とにかく大人のくせに、皆やたらとケンカするので困ると心を痛めたそうです(笑)。そのためネットヲタクのたまり場になってしまい、参入者同士で誹謗中傷や罵詈雑言の投げ合いで荒れてしまいました。その後インターネットの普及で、Instagram、Twitter、YouTubeなどの世界標準のコンテンツが広まる中で、2ちゃんねるは次第にその勢いを失っていきました。またその際に代表者のひろゆきさんの対応の悪さのために、多くの訴訟が起こされ、多くは裁判に負けて賠償金の支払いが命じられたにも関わらず、あまり払われていないようです。そもそもパリに移住したのも、賠償金から逃れるためという話まであります(これは根拠は薄いように思えますが)。
ホリエモンさんに関しては、多くの話が残っており知っている方も多いと思いますが、様々な買収や企業乗っ取りで「時代の寵児」とまで言われましたが、証券取引法違反で逮捕され、懲役に服したことは多くの方がご存じだと思います。
橋下徹さん弁護士出身で、大阪府知事、大阪市長、政党「維新の会」の代表などを務め、ある意味「時代の寵児」のような存在になりましたが、大阪都構想のための2回に及ぶ住民投票政策の失敗のため、その勢いを失い、後任に託して政界から引退しました。
ここに挙げた3人がSNSを中心に発信を行いだしたのは、それぞれの「失敗」の後でした。ここからは私の考えになりますが、彼らは自分たちの失敗が、自分たち自身の責任ではなく、自分たちを理解できなかった権力や世間にあると思っていることです。このこと自体は私もうなづける面が多いのですが、なぜか彼らは「理解できなかった大衆」にその憎悪をぶつけてるように思います。そしてその対象の多くは社会的弱者に向かっているように思います。

恐怖が弱者を排撃する


フリードリッヒ・ニーチェ
【画像引用 個人ブログ】
私は彼らの言動にひとつの共通点を感じます。それは「ルサンチマン」です。ルサンチマンとは「(仏: ressentiment、 (フランス語発音: [rəsɑ̃timɑ̃]) )は、弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと。(Wikipediaより引用)」とされるもので、F・ニーチェ(1844~1900)により思想的問題として取り上げられ、その後の哲学や社会学などにも取り上げられるようになった概念です。
社会的な弱者が現実に絶望するなかで生まれるものですが、自分たちしいたげる現実の権力に対抗する力を持たないため、その怒りや暴力の矛先は社会的弱者に向かいます。しかもその行為を正当化するために、社会的弱者は弱者を装った強者であると信じ込みます。
近代における典型的なケースがユダヤ人差別です。ユダヤ人の金融資本家がこの世界を裏から支配しているという陰謀論を基に、多くの差別が行われました。しかし当たり前ですがすべてのユダヤ人が金融資本家ではありません。なによりもユダヤ人の金融資本家が多かったのは歴史的に理由があります。
近世以降のキリスト教社会において、金銭を扱う職業(いわゆる「金貸し」)は、生産性のある実業ではない賤業として扱われおり、悪人として捉えられることが多かったのです(シェイクスピアの「ヴェニスの商人」に出てくる金貸しなどがその典型です)。差別ゆえに生産に関わる仕事につけなかったユダヤ人は、賤業とされた金貸しにならざるを得なかった歴史があります。ルサンチマンを抱えたひとたちはその差別の歴史には目をつぶり、自分たちこそが彼らに差別されてきたという被害妄想的な信念に取りつかれます。
ひろゆきさんは旧統一教会への批判を強めながら、一方で反LGBTQ、反ホームレス、反社会運動、反外国人という、どちらかというと旧統一教会の考え方と同じくしているところがあります。これは一見しておかしな行動ですが、上記のような視点で見るとひろゆきさんの矛盾した行動も理解できるように思えます。彼の論理の道筋をたどると、こういった矛盾に自覚的ではないように思えます。これは他のふたりにも同じ傾向が伺えます。おそらく彼らにとって、論理の流れより、それがいかにSNSで受けるかを直感的に把握して発言しているように思えます。とくにひろゆきさんにその傾向が強く、あらかじめどのような批判が起こるか計算したうえで、「炎上上等」とばかりに言葉を投げかけ、それに対する批判に対しても、冷笑で答えます。こういう言葉遣いは、結局のところ自信のなさの裏返しにしかずぎません。なのでこのひろゆきさんの冷笑的な態度も、心変わりに激しいメディア界において、いつ忘れさられ転落するか判らないという、恐怖感の裏返しでしかないように思います。ここに彼のルサンチマンが現れているように思えます。

冷笑主義を超えて


大正モダンの象徴的な建築「凌雲閣」(浅草十二階)1890~1923
【画像引用 個人ブログ】
最初にも書いたように、筆者にはこの冷笑主義を単純に否定できる気にはなれないのです。ルサンチマンはおそらく誰の心の中にもあるものです。ただ考えなければいけないことは、冷笑主義による逃避に、自身の存在が追いつかなくなったときに、往々にして人は再び権威に寄りかかりがちなことです(ニーチェのルサンチマン論はそこを主眼にしています)。
日本では大正モダンの冷笑主義の後、軍部が台頭しています。ドイツではワイマール憲法下の退廃が潰えたあと、ナチズムが現れました。冷笑主義を続けるのは、自身をさいなむ側面があり、永続的な持続は困難です。そこから冷笑主義の反動で、極端な権威主義への寄りかかりが起こるようです。
物事を冷静な気持ちで見るためには、冷笑主義も考え方のひとつとしてアリだと思います。しかし現実への関りは、冷笑主義を超えた論理的な判断が必要です。私たちはひとつの関わり方に傾き過ぎず、多様な考えを受け入れながら、この現実を生きていくべきでしょう。

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local_offerevent_note 2022年11月15日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます