書評:「凛として灯る」(荒井祐樹)

米津知子の闘い

【画像引用 ヤフーショッピング】
今回の記事は、荒井祐樹著の「凛として灯る」(2022)現代書館刊の書評です。内容はフェミニズム活動家米津知子(1948~)の評伝です。
1974 年、東京の国立博物館で行われた「モナリザ展」開催初日に、下肢補装具を着けたひとりの女性障害者が、絵画「モナリザ」(1519)に赤いスプレーをかけました。彼女とモナリザの間にはかなりの距離があり、絵画にスプレーがかかることはありませんでした。女性はその場で抑えられましたが、その際にあることを呟きました。「ようやく、落とし前をつけた」と。この本は彼女がここに至るまでの「物語」です。

若き日の闘い

装着時の下肢補装具の例
【画像引用 アドバンフィット株式会社HP】
米津は1948年に生まれました。後に団塊の世代、全共闘世代、第1次ベビーブーム世代などと名づけられた年代です。出産時は健常な身体でしたが、1951年にポリオにかかり、右足に障害が残りました。1955年歩行を容易にするために、下肢補装具を着けることになりました。両親は彼女が委縮してしまわないように、お稽古事を習わせるなど積極的に外出をさせるようにしましたが、50年代の地方都市では現在と比べてもはるかに障害者に対する差別が厳しく、米津は鬱屈した思いで日常を過ごしていました。
彼女は自身に対して厳しく「道徳律」を定め、真面目に生活を過ごすことで、自身のアイデンティティを守ろうとしました。しかし当時女子生徒はストッキングでの登校を禁止されているにも関わらず、多くの生徒が校則を破りストッキングを履いてきていました。しかし教師は一応注意はするものの、実質的に許容されていました。しかし米津は補装具のためストッキングを着けることはかないませんでした。規則を守ることを自分の信条にしていたのにも関わらず、規則の運用は適当で、しかも彼女には手の届かないストッキングを皆が当たり前のように履いていました。このことによって、米津は今までの自分の考えがおかしいことに気が付きました。これが米津の人生を変えていく大きなきっかけとなったのです。

リブ運動との出会い

リブ運動の日本における創始者のひとり田中美津(1934~)
【画像引用 LEE】
米津は自分には結婚は望めないと思い、手に職をつけるために1976年多摩美術大学のデザイン科に入りました。しかし多くの才能を目にして自分の才能のなさに気づき、また求人が男性に偏っていることにも絶望を感じました。しかし米津の人生に大きな影響を与えることに遭遇しました。当時全国の大学に吹き荒れていた学生運動です。
米津はすぐにバリケードに入りました。彼女はそこで自身の障害に対する想いを他の学生に打ち明けました。それは初めて自分の想いを打ち明けた瞬間でした。しかし運動に関わる中で、気が付いたことがありました。それは運動の中に流れる「男性優位主義」です。集会で多く発言をするのは常に男性で、女性は裏方に回り食事や食器洗いはすべて女性の仕事でした。また学生運動家は仕事を持たないため、収入の確保に働くのも常に女性でした。また男性の運動家は、女性の運動家に依存しながら、恋人に選ぶのは運動にかかわりを持たない「普通」の女子学生でした(筆者の知り合いにもそういう人がいました(笑)。
自由や平等を謳う学生運動の男性優位主義に矛盾を感じた米津は、女性解放の運動に関わろうとします。そこでウーマンリブ活動家の田中美津(1943~)と出会います。男性の活動家が「理屈」で闘おうとする中で、田中の自分の感性を信じて闘う姿に、米津は強く影響を受けました。田中が中心になって「リブ合宿」が行われました。この集まりは女性が寝泊まりして、自分の想いを語り合うものでした。そこでは活動家のステロタイプの言葉でなく、ひとりひとりが生きてきた経歴を振り返り、自分の想いをぶつけ合うものでした。
リブ合宿の様子は当時マスコミに面白おかしく取り上げられました。合宿の中で自分を解放するために、野外で裸になって語り合う取り組みがありました。それをマスコミは裸の写真と共に取り上げ、「破廉恥」と糾弾しました。その中には米津の裸の写真も載っていました。それを見て米津は激しい憤りを感じました。それは裸の写真が勝手に載せられたことだけではありませんでした。他の女性が裸体の全身像が写される中で、米津だけは義肢が写らないように写真が撮られていたことでした。「こんな下らない記事の中でさえ、私は障害者として差別されなければならないのか!」 米津はさらにウーマンリブ運動に自分をかけて行きました。

リブ運動の中の障害者


青い芝の会の代表を務めた横田弘(1933~2013)
【画像引用 個人ブログ】
リブ運動に関わる中で、米津は優生保護法の改正によって中絶の要件が厳しくなることに対して、女性の「産む・産まない権利」の立場から反対運動にも関わりました。しかし一方で、女性の産まない権利を認めると、子供の生きる権利、特に中絶されてしまうことの多い障害者の立場はどうなるのかという点に突き当り、運動への関りを再考させられることになりました。米津のこの考えは、脳性まひ者の障害者団体「青い芝の会」によっても提起されていました。リブ運動は自分たちの運動を批判する青い芝の会と話し合いの場を持ちましたが、そこで青い芝の会から「中絶は女のエゴ」と言われてしまいます。
しかし一方で青い芝の会の問題もありました。それは青い芝の会にある「男性優位主義」でした。青い芝の会は圧倒的に男性障害者が多く、彼らは健常者や障害の軽い女性と結婚して、生活や経済を支えてもらっていることが多かったのです。また年齢層が高く、若い世代の問題意識を理解できないところがありました。また「女のエゴ」と断言しましたが、現実に中絶が行われる際には。男性側に問題があることが多く、女性にだけ責任を押し付けるというのは「男のエゴ」と言えるかもしれません。青い芝の会は全共闘運動の影響を強く受けており、その負の遺産ともいうべき「男性優位主義」も引き継いでいたように思えます。
しかしリブ運動は、女性も障害者も今の社会の中で、その存在を長く認められなかった現実を重く見て、敵対ではなく対話に臨もうとしました。この中で、米津は女性であることと、障害者であることに引き裂かれながら、闘いを続けていきました。

闘いの結実


モナリザ展の様子
【画像引用 マネーポスト】
しかし運動の中で、米津はある致命的なミスを侵してしまいます。優生保護法に対す反対運動として、デモ行進を実施することになりました。その中で横断歩道のない場所で道を横切らないと通れないところがあり、警察から「歩道橋を通ってほしい」と言われ、米津はそれを受け入れてしまいます。しかしそれは老人、障害者、妊婦、ベビーカー、車いすに取っては、デモ行進を困難にする事柄でした。そこには自身が障害者でありながら、重度な障害者を切り捨てるような行いでした。この行動は強く批判されましたが、なによりも米津自身がそれを激しく感じていました。その中で米津はある決意をします。それがモナリゼ展への抗議でした。
モナリザ展は混雑が予想されるという名目で、障害者や乳幼児の入場を拒否していました。
その代わりに別の日程を設定して招待するという話が出ていました。しかし米津にとってそれは「隔離」にしか思えませんでした。米津が効果的な抗議行動として「モナリザ」へのスプレー噴射を行ったのです。
逮捕された彼女は裁判にかけられました。このさなか身障者の招待デイが実施されましたが、実際には前売り券を持った一般客を受け入れるという欺瞞的なものでした。裁判は検察側によって「悪戯」として裁かれようとしました。しかも度々障害に対する差別的な言動が聞かれ、そのたびに支援者と米津は抗議を行いました。裁判は最高裁まで行き、過料三千円の有罪判決が確定しました。米津はその後もLGBTQの運動などにも関りながら、現在も活動を続けています。

読み終わって


フェルナンド・ポテロ(1932~)の描く「モナリザ」(1978)
【画像引用 個人ブログ】
長々と本の内容を紹介しましたが、一読し強く心を打たれた本でした。女性であることと障害者であることの相克は、立場は違いますが私の亡くなった妻や、私自身にも通じるもので、感銘を受けたところです。また運動内部の様々な対立や、男性優位主義の問題は、私の体験の中でもしばしば感じたことで、納得しながら読みました。
モナリザに対する「攻撃」が、果たして意味のある行動であったのかは難しいところですが、米津のかなり切羽詰まった意識から出てきたもので、また人を傷つけることではなかったことは評価して良いと思います。
これは障害者問題と離れますが、モナリザ展そのものに感じた日本的な権威主義にかなりあきれました。当時の記事によると、3時間あまり並んだあと、2~3分程度で次に回されるようで、こんなものが「鑑賞」と言えるのかと思いました。この名画に何かをかけるという行動は最近流行っている(笑)ようで、環境保護運動の運動家があちこちで行っているようですが、名画を対象にするのは世間の耳目を集めるためでしょうか、なにか裏返しの権威主義のようで、米津のような切実さを感じません。
文中で私が一番ショック(というか情けなさ)を感じたのは、米津が全裸の写真を撮られたとき、補装具の部分を外して撮影したということです。興味本位の内容の記事でありながら、そこでさえ障害と向き合えないマスコミ(おそらく男性だと思うのですが)に対して、怒りと同時に、同じ男性として情けないものを感じました。
これ以外にもいろいろ感じることが多かったのですが、手に取ってその内容を確かめてほしいと思います。

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local_offerevent_note 2022年11月2日
  • スピノザ

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