芸術の強度―岡本太郎の場合

岡本太郎という謎

太陽の塔(1970)
【画像引用 個人ブログ】
今回の記事は岡本太郎(1911~96)についてのものです。
近年岡本太郎の大規模な回顧展や、新しい書籍の出版などが相次いでいます。生前はアカデミックな画壇からはあまり正当な評価を受けず、一方でマスコミへの顔出しが多く、そこから変人やキワモノとして扱われることがよくありました。
しかし、死後大規模な壁画作品が発見されたり、作品分析が行われるようになることで、多くの作品が、異なった時代や地域の文化的遺産を吸収し、なおかつ現代芸術の手法を取り入れており、単なる思い付きではない計算された思索の営みであることが判り、改めて評価されるようになり、今なお後続の芸術家たちに影響を与える存在となっています。
この後岡本太郎を紹介していきますが、少し横道にそれてそこから岡本太郎の存在を照射したいと思います。

表現の不自由展2022神戸(2022/9/10~11)を観て

「表現の不自由展神戸」より
【画像引用 JNN】
この美術展の存在は前から気になっていましたが、個々の作品の具体的な紹介がほとんど行われておらず、いろいろなデマ情報のみが伝わってくるような状態でした。筆者は表現の自由云々もさることながら、現代芸術の観点からひとつひとつの作品を観てみたいという気持ちがあり、ちょうど神戸で行われるということなので、チケットを手に入れて行くことにしました。会場のキャパシティの関係で、代表的な作品のみで、いくつか観たいと思っていたものがなかったのが、少々残念でした。
会場前には右翼の街宣車が並んでおり、やたらとでかい声で展覧会を批判していました。嫌韓を標ぼうする保守派の政治家が、実は韓国や北朝鮮と繋がっていたことが判ったことで、保守派の論客や、ネット右翼は言い訳で必死の状態になっていますが、この街宣車もこの問題は完全にスルーしていました。
入り口で警察が金属探知機で荷物を調べていました。仕事とはいえ休みの日にこんなことをさせられる警察が気の毒に思えて、思わず「ごくろうさまです」と言うと、女性の警官が笑顔を見せてくれました。
「平和の少女像」(2011・キム・ソギョン)や昭和天皇の肖像を燃やしたということで話題?になった「反戦旗」シリーズ(1971~1977・前山忠)が目玉でしたが、原発事故をテーマにした写真(2018・豊田直己)や、「原爆の図」で有名な丸木位里・俊夫妻の作った絵本(1950)などが展示されていました。いずれの作品も作品内容が問題視され、展示や出版が拒否された作品ばかりです。限られた時間の中で、多くの作品を集めたスタッフの方々に感謝したいとも思います。
で、ここからは個々の作品についての評価です。結論から先に言うと「ピンとこない」作品が多いように思いました。「平和の少女像」ですが、あらかじめ作品の由来の知らなければ、正直あまり技術的に高いといえない、もっとはっきり言えば「稚拙」な肖像作品にしか思えませんでした。また作品のテーマは、性暴力にさらされた女性にエールを送る純潔の少女ということですが、この対比の仕方が旧来のジェンダー規範に基づいた、むしろ差別的と言ってもいいように思えたのです。
「反戦旗」シリーズに関してですが、説明されて意図は判るのですが、筆者どうもこういった、説明されて判る系の「コンセプチュアルアート」が、あまり好きにはなれません。
他の作品も大なり小なりそんな感じで、あまり観て良いと思った作品がほとんどありませんでした(唯一の例外が上記の原発事故の写真です。ただ事実を淡々と写すことで、作品の持つ強さが迫ってきました)。
私はこの美術展を観ながら、岡本太郎のことを考えていました。岡本太郎も度々、政治や社会をテーマにした作品を描いてきました。岡本太郎の作品とこれらの作品の決定的な違いは、不自由展の作品が結局テーマの絵解き以上のものではないのに対して、太郎の作品はテーマの存在を超えていく、圧倒的な「芸術としての強度」を持っているということです。

岡本太郎という強度

「重工業」(1949)
【画像引用 個人ブログ】
岡本太郎は1930~40にかけてフランスに滞在していました。太郎はそこで当時の前衛的な芸術や思想に強い影響を受けました。ざっと並べるとシュールレアリズム、パブロ・ピカソ、ワシリー・カンディンスキーの抽象絵画、マルセル・モースの民俗学、ジョルジョ・バタイユの哲学、共産主義などです。しかし多くの影響を受けながら岡本太郎は、特定の流れに与することはありませんでした。ピカソに大きな影響を受けながら、自分はピカソを超えるもの作りたいと述べていました。
岡本太郎の足跡を見て思うのは、特定の思想に収斂されることに対する拒否感の強さです。また太郎は既存に美意識に対するアンチを終生投げかけ、「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という言葉に、太郎の想いが的確に表現されています。
芸術に限らず、前衛と呼ばれた人たちが、権威化するに従いその新しさを失い、時に後続の新しい試みを抑圧することは、歴史の中で度々繰り返されてきました。太郎が最も嫌ったのはこの権威主義だったように思えます。有名な「太陽の塔」も万博のテーマの「人類の進歩と調和」が気に入らず、塔の中に過去から続く悠久の歴史を展示しました。
また多分に道化師的ともいえるマスコミへの出演も、権威化した画壇に対するアンチテーゼだったように思えます。
しかしなによりも強く感じるのは岡本太郎の作品の圧倒的な判りやすさです。しばしば太郎の作品は難解と言われましたが、今回大阪での回顧展で作品を実際に観て思ったのですが、なぜ難解と言われたのかが判らない「判りやすさ」でした。例えば機械の中に巨大なねぎの束が描かれる「重工業」(1949)を観て、人は難解というのかもしれませんが、意味づけを保留して作品を観れば、色彩の対比や、効果的に描かれた遠近法に満ちたとても「判りやすい」作品です。私たちの「言葉による理解」を超えたところにこの作品は立っているように思えます。

職業?人間だ


岡本太郎がデザインした近鉄バッファローズのマーク
【画像引用 楽天】
筆者がこの記事を書こうと思ったきっかけは、大阪中之島美術館で開かれた「展覧会岡本太郎}(2022/7/23~10/2)を観たことでした。こういった大規模な展覧会の良いところは、作品を時間の流れに沿って体系的に観られることです。筆者はこれまでも、ゴッホ、ムンク、モディリアーニ、草間彌生などの回顧展を観て、作家に対する思い込みを覆される経験をしました。
今回の岡本太郎展では作品紹介だけでなく、文筆活動、歴史研究、CM出演に至るまで資料が網羅され、岡本太郎の全体像をみることが出来ました。その中で最も強く感じたことは、時に野放図にみられることの多い太郎ですが、実際は理論的な積み重ねの上に、繊細な作品が組み立てられてきたということです(これはゴッホの回顧展でも強く感じたことでした)。太郎は具象と抽象の間をさまよいながら、終生どちらにも与しない、独特の作品群を作り続けました。
最後に感心したことをふたつ。
ひとつは晩年は発表される作品の多くが、公共展示されるものだったことです。それが美術バブル以降名作が高値で買い取られ、投資商品として死蔵されていることへの、アンチテーゼだったようです。
もうひとつはCM出演に関して、どのような商品のCMでもかまわないが、CMの中で商品名を連呼することを、絶対受け入れなかったそうです。たしかに「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」と言っても、商品名は言ってませんでした。
最後に筆者が最も強く感じたことは、なによりも岡本太郎自身が、彼の産み出した最良の作品ではなかったかということです。この記事を読んだ人が岡本太郎に興味を持って頂ければ幸いです。

「雷神」(1995 絶筆未完)
【画像引用 個人ブログ】

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local_offerevent_note 2022年9月16日
  • スピノザ

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