定時制高校の思い出


この文章は私が定時制高校に通学していた70年代後半の話です。現在の状況とはかなり変わっていますので、最近の様子については巻末に載せたサイトを参考にしてください。
私の通っていた高校は、昼間は全日制が利用する校舎を、そのまま定時制でも使っていました。同一校舎の全日制と定時制は別高校の場合が多いのですが、この高校は同一校の全・定二部制の学校で、校長先生は1人のみで、教頭先生が全・定にそれぞれ1人ずついました。全・定共に工業高校で、全日制は4科ありましたが、定時制は1科電気科のみでした。また定時制は1日の時限数が少ないので、4年間通うことになります。
私は中学時代、不登校状態を1年あまり続け、その後定時制高校に進学しました。そこでも最初の1年間は不登校状態でしたが、1年生やり直しで登校を始めました。
定時制は経済的な問題が理由で進学が出来ないために、働きながら勉学をするためのものです。必ずしも経済的に問題のない場合でも、昼間何もせずに過ごしているのは、時間の使い方としては良くないとされ、出来る限り仕事をすることが求められました。また仕事が長く続けられ、また卒業後のことも考え、正規雇用で働くことが推奨されていました(今となっては隔世の感がありますが、この頃は中卒でも正規雇用の仕事が結構ありました)。
私は入学理由が不登校という事情もあり、担任の教師からも無理に働く必要はないと言われ、仕事を免除してもらいました。また体調面の不安もあり体育の授業も免除してもらい、ずっと見学をしていました。全日制であれば無理だったでしょうが、この時代の定時制は割合融通を利かせてくれました(今でもそういう面があるようです)。
年配の方は、定時制高校と聞くと、やんちゃ系の人が行く学校というイメージがあるようです。この印象は80年代の中頃くらいまでの様子で、今は私のような不登校体験者が生徒の多くを占めています。
私が1年目に不登校が再発したのは、このやんちゃ系の楽園みたいな雰囲気になじめず、正直「怖い」といった印象を抱いたことがきっかけです。しかし登校を始めるようになって、色々な話を生徒とするなかで、働いているということもあって、同年代の高校生と比べてむしろ社会性が高く、結婚をして子供もおり家族思いの人もいました。ある人から子供のために買ってあげたドラえもんのおもちゃを見せてもらい、嬉しそうに話していた姿が今でも思い出されます。
とは言えかなり激しいやんちゃ系の人もいましたが、そういう人は1年生の夏休み開けに大体登校しなくなっていました。この時点で入学時の半分ぐらいに生徒数が減っていました。最近の定時制高校についての文章を読むと、この傾向は近年でも変わっていないようです。


私の通っていた高校は工業高校の電気科なので、電気関連の授業が主でした。実は特に工業高校に入りたいわけではなかったのですが、中学時代不登校のしていた私の偏差値はかなり低く、近くで行ける高校はここしかなかったのが現実でした。
実際に実習を体験して分かったのですが、電気工事というのはかなり生来的な能力が要求される仕事で、少しにやってみて自分に向いてないのがすぐに分かりました。そのため結局なんの資格も取らないまま卒業しました。今となってはせっかく良い機会だったので、資格を取っておけば良かったなあと思います。
最初は渋々やっていたのですが、やっているうちに自分の知らない事を勉強できることや、下手ではあるけど手先作業は好きだったので、次第に楽しくなっていきました。
電気関係の科目は実習も含めかなり難しかったのですが、それ以外の一般科目は、生徒の実情に合わせ中学レベルでした。そのため授業そのものは結構楽にできました。
この時は正直ここで勉強したことは、あまり将来の役には立たないと思っていたのですが、最初に勤めたのが障害者の職業支援施設で、結果的に高校時代に勉強したことが役に立ち、無駄ではなかったと思いました。

私と同じクラスに年配の方がいました。40代なかば位の方で、結婚をされており、かなり大きな子供もいました。土木関係の仕事をされていましたが、中卒ということで資格が取れず、給料も上がらず生活が大変なので、思い切って入学したそうです。非常にまじめな方で、授業も熱心に聴講していて、質問も良くされていました。
学校では授業中の私語が多いことがよくあり、教師がよく注意していましたが、教師自身が若いこともあってかあまり聞き入れようとしませんでした。けれどこの方が「みんな静かにせえよ、勉強に来とるんやろ」というと皆静かになっていました。
また他にクラスにいた方で日系ブラジル人1世の人がいました。色々事情があって日本に戻られたのですが、やはり中学校卒業であったため、改めて勉強したいと通学している人でした。
不登校をしていた時に担任と副担任が家庭訪問に来ました。感じの良い教師で、まあその内行くかもしれません、といったようなことを話しました。復学した際は1年生のやり直しのため担任からは外れましたが、その後も色々話することが多くなりました。この教師はそれぞれ数学と国語の担当でしたが、その教師と仲の良いもうひとり電気工学の教師ともよく話をするようになり、この3人の教師とはその後も公私ともの長いおつきあいになりました。
その教師たちは私よりほぼ一回り上の、いわゆる団塊の世代と言われる人たちでした。この世代の人たちは社会的な事柄への興味が強く、私自身もかなり影響を受けました。
昼間仕事をしていなかった私に対して、電気工学の教師から「ボランティアをやってみたら」と言われ、薬害訴訟を行っている市民団体を紹介されました。その経験は私が福祉に進むきっかけにもなりました。またその教師には生徒で立ち上げた、コンピュータークラブの顧問になってもらいました(ようやく8ビットのパソコンが出始め、FORTRANが代表的なプログラム言語の時代でした)。退職後は私塾をされているそうです。
数学の教師は退職後震災関連の市民団体の代表をされています。
国語の教師とは文学や哲学の話を良くしていました。後に私の通っていた大学に国文学講師として転職してこられ、とても驚きました。その後福島の国立大学に転職され、現在は名誉教授として日本の近代文学の研究をされているようです。
以上が私の定時制高校時代の思い出です。望んでいったところではなかったのですが、私にとっては人生の良い経験となりました。それまで自分の狭い世界に閉じこもっていた私のとっては、社会に繋がる最初の経験でした。時代は変わっても今も定時制高校はそんな場所のようです。
現在の定時制高校の様子は下記のサイトを参照してください
「ヤンキー」消えた…夜の定時制高校は今 まるで大学?けど給食あり

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local_offerevent_note 2019年12月17日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます