神戸という街

【画像引用 風見鶏の館HP】
私は若い頃自分の住む神戸という街があまり好きではありませんでした。
神戸は昔兵庫津と呼ばれていました。古代の遺跡が発掘されたり、落ち延びた平家が一時福原に都を建てたこともありましたが、「源氏物語」の「須磨・明石」に描かれているように、京の都から見れば辺境の地でした。1868年対外的な貿易港として開港され、1956年には政令指定都市になります。それ以降は国際的な港湾都市として発展してきました。その後は水害、空襲、震災などによって度々街は被害にあいましたが、その度に復興し現在至っています。
神戸は港湾都市として発展してきたと同時に、観光都市としても発展してきました。貿易港と言うことで、昔から外国船員にはその名前が知られており、神戸港で船舶に補給される飲料水は「神戸ウォーター」と呼ばれ、また「神戸牛」の存在も知られていました。
しかし国内的に有名になったのは、ドラマ「風見鶏」(*1)の存在が大きかったと思います。このドラマでは北野の異人館街がロケ地として使われ、ドラマのタイトルにもなった「風見鶏の館」が全国的にその名を知られるようになりました。それからは観光地として開発され、多くのお店が建ち並ぶことになりました。その後も神戸を舞台にした映画やドラマが多く作られました(*2)。観光都市化はかなり以前から見られましたが、特に阪神淡路大震災の後ハブ港(*3)としての存在感が低下したことにより、その傾向に拍車がかかったように思います。
私が好きになれなかったのは、この観光都市としての神戸でした。それは利益のために神戸の存在を切り売りしている姿に私には見えました。特に私が高校生の頃は年齢的なこともあって、社会に対して潔癖なものを求めるきらいがあり、また私の親が観賞魚の売買をやっていて、生き物を物の様に扱うところが、神戸が歴史的に築いてきたものを、商売の手段に扱っている様とがダブって見え、親に対する反抗期的な気持ちと重なって、神戸の今を嫌悪する気持ちにつながったのだと思います。
一方神戸にはこの華やかの側面とは別の姿をもっています。日本で一番大きいとされる被差別部落の存在。古くから住んでいる在日韓国・中国人。沖縄・奄美出身者の多く住む街(児童文学「太陽の子」(*4)にその日常が描かれています)。市内の住居地ではっきり判る格差構造。私には観光都市としての神戸はこの側面を隠して存在しているように思え、そのことがこの感情を強めたのだと思います(現在は南京町やコリアンタウンも観光地化しており、状況がだいぶん変わっていますが)。

昭和30年代の中央区三宮町辺りの様子です
【画像引用「思い出の神戸市電」】
私は大学時代に京都に下宿しており、大学が休みの際にはよく神戸に帰っていました。帰る度に少しづつ街並みが変わっており、バブル前の時期で都市開発が進んでいました。
私は京都で就職先を探しており、決まればそのまま京都に住むつもりでいました。積極的に京都に住みたいという訳ではなかったのですが、神戸に帰りたくないと感情がこの時点では強かったと思います。しかし京都では就職先は見つからず、最後の頼みの綱であった、神戸の社会福祉施設の就職が決まり、結局神戸に帰ることになりました。
施設の近くに住むことになったのですが、引っ越した当初はかなり郊外で、一緒に住むことになった妻が、「神戸やというから港町を想像してたのに、街中を鶏が走っているし、耕運機が車道を走っているし、近くに牛小屋があるし、これやったら私の郷里(京都府福知山市)の方がよほど都会やで」と言われてしまいました。しかし最初は田舎だった街並みも次第に宅地造成が進み、牛小屋もなくなり、鶏や耕運機も次第に見かけなくなり、普通の住宅地になっていきました。

【画像引用 ロコナビ】
この日常がこのまま続いていくのかと思っていた時に訪れたのが阪神淡路大震災でした。震災に関しては別記事に書きましたのでここでは詳しく触れませんが、僅か10秒あまりの揺れで街の様相が一変してしまいました。港湾都市も観光都市もなくなってしまいました。
しかしその後に神戸に現れたのは私の思ってもいない姿でした。神戸人は他の関西の都市に比べ個人主義が徹底しており、クールな側面を持っていました。そのためか市民運動家の人が「神戸ではあまり運動が盛り上がらない」と嘆いていました。しかし震災後の神戸はそのクールな面を残しつつも、復興のために一斉に市民が立ち上がりました。それはおそらく自然発生的に立ち上がったもので、皆自分のポジションの中で役割を考え動き出し始めました。この1995年は後に「ボランティア元年」と言われるほどに、これまであまり顧みられることのなかったボランティアに注目が集まる年になりましたが、これは神戸市民がボランティアを受けいれる土壌を作ったことによって、可能になったのだと思います。
震災後のある日、布団に並んで妻と寝ていました。突然妻が泣きながら次のようなことを語り始めました。「毎日テレビを観ていると、あなたの住んできた街が瓦礫になってしまっている。観ていると悲しく悔しくなる」と。その時にこの神戸という街は妻にとっても「故郷」になっているのだなあと思い、今まで自分が神戸に感じていたものが、移り変わっていくことに気が付きました。この時の私は仕事と家庭で精一杯で、自身がボランティアを行うことは出来ませんでした。それでも妻と一緒に、知り合いの仮設避難所を訪れ、お菓子や食べ物を持って行ったりもしました。
私は神戸の本当の姿を観ていなかったのだと気が付きました。しかしそれは多くの神戸市民にとっても同じ気持ちだったのではないかと思います。しかし震災から時間が経つにつれ、神戸は再び以前のようなクールな姿を取り戻してきました。わたしはこれが神戸の良いところだと思っています。
またこれ以降妻に感化され、それまで興味があまり向かわなかった、ファッション、観光、スイーツなどに興味を持ち、そこから神戸の魅力に改めて気がついたように思います。しかし簡単に心変わりした自分に、「結局その程度のことやったんか!」とツッコみたくなりました(笑)。まあもちろんそれだけではなく、やはり仕事を持ち家庭を持つことで親の苦労が判るようになり、自身の中にあった仕事に対する忌避感がなくなっていったことも大きいかとは思います。


【画像引用 スタジオジブリHP】
神戸を舞台にしたアニメ映画に「火垂るの墓」(*5)があります。この映画は神戸や阪神間を舞台にした戦争体験を扱った内容です。特に三宮の周辺や、震災の時にも避難所になっていた御影公会堂(*6)の出てくるシーンは懐かしく感じました。それ以上にこの映画のラストシーンが何度観ても自身の琴線に触れるところがあります。主人公のふたりの子供が最後に神戸の夜景を見つめるのですが、この夜景が映画の舞台の戦時中の夜景ではなく、なぜか現代の神戸の夜景なのです。私はおそらくこのシーンに今まで自分が生きてきた、神戸での時間を振り返って観ているのだと思います。
では、今の私にとって神戸は好きな街になったのでしょうか? 今の正直な気持ちを言うと「よく判らない」というのが答えです。この気持ちに決着がつくのかどうかは、これから時間をかけて考えていくしかないように思います。

*1 風見鶏
風見鶏
*2 神戸を舞台にした映画やドラマ
2016年にマンガを原作に作られた「オオカミ少女と黒王子」(廣木隆一監督)という映画があります。神戸を舞台にしており、実際に神戸でロケをして撮影しています。この映画のクライマックスシーンで、主人公たちが神戸を駆け回る場面があるのですが、短時間の間に神戸の東から西まで一気に駆け回り、ワープでもしない限り不可能な状況で、真面目なラブロマンスが、一気に爆笑映画になります。
*3 ハブ港
貨物を積み替えて目的地に輸送する中継拠点になる国際港を指します。アジアでは釜山、上海、シンガポールなどが著名です。
*4 太陽の子
太陽の子
*5 火垂るの墓
火垂るの墓
私と一緒に同人誌を作っていたH君が、公開当時同人誌の映画時評にひとこと「もうかんべんしてくれ」と書いたのが今でも印象に残っています。
*6 御影公会堂
御影公会堂
御影公会堂HP

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local_offerevent_note 2020年5月7日
  • スピノザ

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