特撮三昧(0)「シン・ゴジラ」の彼方へ

映画館の惨状

ゴジラ第4形態 愛称鎌倉さん(*1)
【画像引用 ニコニコニュース】
コロナ禍のためしばらくの間、すべての映画館が閉館していました。6月の始めごろから少しづつ再開されるようになると、映画館に行きたくなったので、自宅から比較的近くにある映画館に行くことにしました。しかし新作はまだ上映されておらず、過去の名作がいくつか上映されていました。せっかく久しぶりに行くのだから、大きなスクリーンを堪能できる作品を観たいと思い、「シン・ゴジラ」(2016)を観ることにしました。もう5回ぐらい観ているのですが、劇場で観たのは1回だけなので、もう一度観たいと思い鑑賞することにしました。
上映されたスクリーンには私も含めて3人しか客がおらず、日曜の昼間にしては少ない人でした。劇場の待合スペースにもあまり人がいませんでした。まあ新作をやっていないので仕方ないですが、ガラガラの客席は少し寂しいものがありました。
しかしひとたび映画が始まると、そういうことも忘れるような映像に圧倒されました。すでにたびたび観ているにも関わらず、この映画の情報量の多さを改めて実感し、特にTV画面では判りにくい点も大画面ではよく判り、「ああ、こういうことやったのか」と思うシーンが度々ありました。

頑張れ石原さとみ!

【画像引用 スパイス】
今回改めて感じたのは、この映画の持つ「異常」さです。映画は突然現れた巨大不明生物に翻弄された日本社会と、それに対抗する官僚組織と科学者の活躍を中心に物語が進みます。
しかし映画を観ながら強く感じたのは闘う人間の「熱量」のなさです。これまでのゴジラ映画では人間の「英雄的」な闘い方が物語を引っ張る力になっていたのですが、ここでは大半の官僚は新しい現状に対応できず右往左往するのみで、一部の官僚が状況を引っ張っていくのですが、彼らの姿勢はあくまで「仕事」としての対応であり、しかも「ゴジラ後」の政治や社会状況をにらみながらの行動で、国の将来を考えつつも、権謀術策に走っている思惑が強調されています。
確かにこれは物語のリアリズムを高めているのですが、反面結局のところ利害のもつれあいを描いているだけのようにも観えてくるのです。絶賛の評価が多かったなかで、「感情移入できない」という声もあり、確かにその見方も判るような気がします。
それと人的被害の部分の描写が少なく、「核」の問題も取ってつけたような広島や長崎の惨状の映像が写されるだけで、あまり説得力があるとは思えませんでした。
前半は恐ろしく早口な会議の様子が延々と繰り返され(しかも意味のある会議ではないことの方が多く)、物語の中間部で閣僚の大半があっさりとゴジラにより殺されます。
後半戦闘シーンにが続くのですが、鳴らされる伊福部昭(*2)の音楽により、勇壮感を煽るのですが(この辺りは筆者が一番好きなシーンですが)、しかし勇往あればあるほど、返ってなにか闘いのパロディーを観せられているようで(特に伊福部昭の音楽をバックに石原さとみ演じる、アメリカ大統領の特使が敢然とゴジラを見上げるシーンは、あまりにも画になりすぎていて、笑ってしまいました)、なにか「壮大で空虚な」ものを観ている気がしました。

ゴジラ第2形態 愛称蒲田くん(*1)
【画像引用 ツイッター】

頑張れ市川実日子!

【画像引用 にゃんこのいけにえ】
今まで観たゴジラ映画のなかで、シン・ゴジラに一番印象が近いのが「ゴジラ対ヘドラ」(1971)です。公害のため発生したヘドラとゴジラが闘う話ですが、人間の産み出した怪獣であるヘドラを、同じく核が産み出したゴジラが闘うという話は勧善懲悪から外れており、ヘドラによる人間の残酷な殺害シーンで繰り返され、放射能を吐くゴジラと、公害をまき散らすヘドラが、周囲を汚染しながら闘い、ゴジラが満身創痍になりながらようやくヘドラを倒すも、最後に人間を睨みつけるようにして去っていくという、恐ろしくペシミスティックな展開の映画でした。
それでも「ゴジラ対ヘドラ」ではその現実に対する警報を鳴らすことで、批判的な視座を獲得している面があるのですが「シン・ゴジラ」ではその視点さえ相対化されているように見えます。
この作品を監督した庵野秀明(*3)は「新世紀エヴァンゲリオン」を作ったことで有名な監督ですが、思えばこの「エヴァ」もどこかしら「壮大で空虚な」な作品だったような気がします。押井守(*4)監督が宮崎駿(*5)も庵野秀明も、なにかテーマがあるように作品が観られているけど、実際はそんのものはないということを語っていました。また誰の発言かは忘れましたが、今アニメ作品を作るとどんなに独創的な作品を作っても、結局はどこかで観たことのあるようなものしか作れない、またそういうものとして作っていくしかないと言っていました。

【画像引用 特撮ソクホウ】
庵野秀明は筆者とほぼ同年代ですが、こういった感覚は理解できます。ひと回り上の世代が「政治の季節」を謳歌していましたが、その跡の焼け野原のような現実を見てきた私たちのような世代には、物事を真剣に語ることの「嘘臭さ」と「恥ずかしさ」の感覚が身についているように思います。そのことが結果的に社会から自分の存在を引きはがすことになってしまった面もあるのですが、かといってこの感覚を否定しようとも思えません。
「シン・ゴジラ」のヒットは、現在の何を言ってもどこかしら空虚になり、あらゆる意見が相殺され無意味になってしまうような現実と、どこかしらフィットしたからのように思えます
こういった感覚を持ちつつも、ここに留まらない意識が必要に思えます。「シン・ゴジラ」を楽しみつつ、その向こう側を考えていきたいと思います。


*1 ゴジラの進化形態
「シン・ゴジラ」のゴジラは、放射能汚染による突然変異で発生した生物で、単独で時間の経過と共に進化し、無性生殖で繁殖し、体内にある原子炉的な機関によりエネルギーを補充するため、食事を必要としません。映画中では第1形態から第5形態まで進化し、登場場所の地名を取って、ネット界隈では第2形態が「蒲田くん」、第3形態が「品川くん」、第4形態が「鎌倉さん」の愛称がつけられた。特に「蒲田くん」が、キモカワイイと人気が出て、多くのグッズが作られました。
*2 伊福部昭
伊福部昭
*3 庵野秀明
庵野秀明
*4 押井守
押井守
*5 宮崎駿
宮崎駿

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local_offerevent_note 2020年8月13日
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