日本の映画監督(2)庵野秀明

エヴァの時代

庵野秀明監督(1960~)山口県出身
【画像引用 WITH NEWS】
先日、映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(2021)(以下「シン・エヴァ」と略称)を近くの劇場で観てきました。その少し前に映画「鬼滅の刃無限列車編」(2020)(以下「鬼滅」と略称)を観たのですが、公開からかなり経っていたのにも関わらず、チケットもパンフレットも完売状態でした。これに比べると「シン・エヴァ」は公開間もなくで客足も多く、パンフレットも完売していましたが、満員御礼とまではいきませんでした。それと「鬼滅」が小さな子供を含んだ家族連れが多かったのに対し、「シン・エヴァ」はカップルや大人の一人客が多く観に来ていました。
「エヴァ」シリーズは監督の庵野秀明(1960~)のライフワーク的な作品で、1995年以来、TVアニメ、旧劇場版(2作)、新劇場版(4作)と作り続けられ、並行してゲーム・マンガ・パチスロなどでも人気を博し、主題歌もヒットしカラオケの定番曲になるなど、アニメ作品の枠を超えた社会現象となりました。また哲学的で難解な内容や、斬新な表現方法により、「宇宙戦艦ヤマト」(1974~)や「機動戦士ガンダム」(1979~)と共に日本のアニメ界を大きく変えた存在となりました。
しかし最初からこういった人気作品ではなく、最初のTVシリーズは夕方の5時台という、低学年をターゲットにした時間帯ということもあり、その内容に視聴者が付いていけず、低視聴率で実質打ち切り作品になりました(これは「ヤマト」や「ガンダム」にも共通します)。また最終回2話は極めて難解なラストでアニメファンの間でも賛否両論になり、反対派からは庵野監督に対して殺害予告まで行われたそうです。
最終回の難解さは、タイトなスケジュールから来た面もあったようで、庵野監督自身もその内容に不満を持っており、旧劇場版2作(「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」(1997)、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」(1997))により、ようやく完結を迎えました。
けれど、ここまでの作品でも描き切れないものが残ったという強い思いがスタッフにあり、2007年から「新劇場版」として新しい作品が作られることになり、「序」(2007)、「破」(2009)、「Q」(2012)が作られました。当初はTVシリーズのリメイク版と思われましたが、ストーリーが進むにつれて次第に新しい展開を見せるようになりました。それにつれて、次第に作品制作の進行が伸びだし、特に「Q」の後に作られる完結編の制作が実質的にストップする状態になってしまいました。この間庵野監督は総監督として「シン・ゴジラ」を制作しました。この作品は「エヴァシリーズ」通じる内容を持っており、「シン・エヴァ」を制作する上での試行錯誤の過程と言えなくもありませんでした。そして2021年ついに「シンエヴァ」の完成により、ようやく「エヴァシリーズ」は完結を迎えました。
3月22日のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、この「シン・エヴァ」をめぐる話が紹介されました。上記の中傷により自殺まで考えたことが紹介され、庵野監督の苦悩と希望が語られました。

【画像引用 シネマトゥディ】

「トップをねらえ!」(1988~89)

【画像引用 Yahoo!】
庵野監督は「エヴァシリーズ」以外にも多くのアニメ・実写作品を撮っています。多くの傑作があるのですが、筆者はその中でも「トップをねらえ!」が庵野監督らしさの出た代表作だと思います。30分×6作のOVA作品として制作され、その後1989、2006、2020年の3回にわたって異なったリミックスの劇場版が作られました。
物語は21世紀初頭、宇宙から飛来する謎の「宇宙怪獣」との闘いを描いた物語です。タイトルからも判るように、多くの映画・アニメ作品のパロディ要素が詰め込まれ、スポ根アニメをなぞった様な話になっています。しかし物語が進むに従い次第にシリアスな展開になり、愛する人との別れや、異なった時間軸に生きることの苦悩が描かれます。この作品で使われた技法や内容は、後の「エヴァシリーズ」の先駆け的な内容になっています。
またこの時期の多くのアニメ作品において、特攻による主人公の死によって敵を倒す展開が多い中、最後まで生きることを願う内容が多くのファンを惹きつけました。特にラストに出てくる「コトバ」に多くのファンの涙を誘いました(筆者も観るたびに泣いています)。


庵野監督作品 映画「キューティーハニー」(2004)
【画像引用 個人ブログ】

「シン・エヴァ」を観て

【画像引用 チェックメイト】
最後に筆者が「シン・エヴァ」を観て感じたことを書いてみたいと思います。ただネタバレ的なことはあまり書きたくないので、少々抽象的な書き方になるかもしれません。またある程度内容に触れないわけにもいかないので、映画を未見の方はその点を注意してください。
時間的にはかなり長い映画でしたが、観ていてあまり感じませんでした。開始早々の戦闘シーンは迫力があり、新しい試みが行われていることも判りました。前作であいまいであったところが少しずつ明らかになっていきましたが、少し難解な部分も見受けられました。しかし中盤のあたりから、これまでのエヴァシリーズでは見られなかった「風景」が現れだし、とても平易な表現で登場人物のこれまでの「歴史」が語られました。納得ができる反面、「こんなにエヴァが判りやすくて良いのか?」という感慨もありました。しかしその平易さは破られ、後半は急転直下の展開に入っていきます。そこで「新劇場版」だけでなく、これまでの「エヴァシリーズ」の内容の伏線も回収されていきました。
いろいろなことが「回収」されたのですが、一番の驚きは碇ゲンドウの感情が白露されたことでした。詳しくは書けませんが、結局この人の「業」は妻のユイがあまりにも好きすぎて、その感情が周りの人間を破滅させていったこと、そしてそれが結局ユイも破滅させてしまったことでした。もちろんこれはこれまでの物語の中でも語られてきたことですが、ゲンドウ自身の言葉でそれが語られたことが驚きでした。愛する者が思うがゆえにかえって傷つけてしまう。この感覚は私にとってはどこか見知った光景でした。しかしさらに驚くべきことは、ゲンドウに対して「赦し」が与えられたことでした。
上述の番組で庵野監督の父親が事故により障害者になり、どこか終生社会を恨んでいたように思うことを語っていました。しかし庵野監督はその父親のことが好きで、障害を自分の身近にあったことから、人間にとって「欠損」があることが当たりまえで、自分はずっとその「欠損」に引き付けられていたと語っていました。
思えばエヴァの登場人物は、みなどこかに「欠損」を抱えた人ばかりでした。そしてこれまでの作品では、そのことが「救済」されることはありませんでした。救いがないといえばそれまでですが、現実を考えれば安易な「救済」が答えにならないことを誰もが感じており、それがエヴァを観る人を惹きつけてきたのだと思います。しかしこの作品ではゲンドウだけでなく、すべての登場人物に臆面もなく「救済」が与えられ、これまで否定的に語られることが多かった「家族」に対しても暖かい目が注がれました。
これはおそらく誰もが望んでいた結末であると同時に、「これは違う、これではない」という感情を引き起こしました(いくつかの感想で同じことを書いている人がいました)。おそらく庵野監督にとって、それは織り込み積みのことであったと思います。この希望と絶望の現実に投じられた、「ロンギヌスの槍」を受け止めるのは、観た人ひとりひとりの課題として残っていくのだと思います。

【画像引用 あにちる速報】

おめでとうそしてありがとう

妙に気合の入った文章を書いてしまいましたが(笑)、とりあえずこれが現時点での感想です。庵野監督はこの後「シン・ウルトラマン」「シン・仮面ライダー」を撮っていくそうです。おそらくこれからも良い意味で期待を裏切る作品を作っていかれると思います。

【画像引用 電ホビ】

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local_offerevent_note 2021年5月28日
  • スピノザ

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