私の妻が残した記録 震災編(1)

はじめに

今回の記事は、先年亡くなった私の妻が残した日誌の内容を記事にしたものです。
以前別の記事でも紹介しましたが、私と妻で家族誌を作って、親しい人に配っていたことがありました。まだネット文化はなく、パソコンの一太郎で書いたものをコピーして、ホチキスでとめたものでした。
内容は子どもの育児日記を中心に、小説やエッセイもふくんだものでした。かなり好評だったのですが、次第に育児や仕事が忙しくなり、立ち消えになってしまいました。そのため記事にするためのメモが発表されないまま残ってしまい、妻には心残りになっていたようです。
そのままメモは眠っていたのですが、先日なにげなく手にして読んでみると、結構興味深い内容だったので、妻の心残りを解消するためにも、今回公表することにしました。非常に個人的な記録なのですが、障害を持った女性の記録ということで、一般性を持った部分もあるのではないかと思い記事にしました。
すでに時間が経っており、またいろいろ差しさわりのある事柄もあるので、一部内容の変更を行なっています。また個人名は基本的に伏字にしています。明らかな誤字脱字は治しましたが、出来る限り原文に近い形で公表します。
阪神淡路大震災についてのメモが多く残っていたので、最初にこれを公開したいと思います。震災直後の記述が多いため、情報が錯綜しており、今となっては間違った情報も見受けられますが、そのまま公開したいと思います。

EARTHQUAKE

【画像引用 ITOITO STYLE】
とにかく今回の阪神淡路大震災を少なからず体験した1人として、何かを誰かに伝えたくて、思ったままを書きたいと思います。わかってほしいとかじゃなく、あふれ出てくる次々の感情を、押しとどめる事ができなくなってきたのです。こんな感じは初めてです。
たぶんこのあたりは、被災地の中でも被害は小さかったのだろうとは思いますが、人の心はそんな状況とは関係なく、みんな同様に深く傷つき、おびえていたはずです。あのしゅんかん、どうやって子供をかばったのかも覚えがなく、急速にゆれが増していく中で、たった十数秒の間、私は「日本中がこんな状況なのだ、もうダメかもしれない」と考えていました。戸を開け出口を作るなんて、おそらくどんな冷静な人でも、不可能だったと思います。
大きなゆれがとまり、気がつくと私は上の子の頭の上にかぶさっていて、主人は下の子の上に背を丸めていました。
とにかく電気がいる。懐中電灯。あるべき所に……ない。グチャグチャな部屋の中で、父ちゃんがさがし出し、小さな光が、部屋の中をてらして行く。
「何だったの?」その後すぐに余震。「外へ出ないといけない」でも物音がしない。不安になる。とりあえずこのハイツは大丈夫だった。でも1Fだ。灯がほしい。主人が部屋を出て居間にいる。DKに、一歩二歩歩きだす。「イタッ」食器棚の食器が落ちて割れているんだ。「くつをはいて歩いて」と叫ぶ。ワッとかオッとかきこえる。くらくて見えないがきっとグチャグチャになってるんだろう。
「懐中電灯どこらへんだったっけ」あるべきところにないんです。その間私は手さぐりで、子どもに着ぶくれになるくらい着せていた。やっとのことで灯をさがしあて、全員くつをはき、部屋を出て外へ。
外はすでにハイツの住人の何軒かの人が出てきていた。停電なのに、なぜか外の廊下の灯はついていて、お互い無事を確認する。
なにをするわけではなく、ただホールの真ん中(囲りはガラス張り)に集まって身をよせあったが、娘の友達のことが気になり、主人が暗い中見に行き、すぐ向かいの2F建て文化住宅の1Fを見ると無事だった。またもうひとりの無事も確認できてほっとした。
そんな中でラジオに耳をかたむけていた。娘2人はただならぬ大人たちの様子におどろき、とても静かにしている。
「震源は淡路島」とラジオがつげる。近いからここはひどかったんだと、その時点では思っていた。夜明けまで30分以上ある。余震も数回感じている。とても家の中に入る気はしなかった。夜明けまで何を考えていたのか思い出せない。覚えているのは足がガタガタふるえていた事。何人か集まって話をするが、みんなうわの空。ただ早く明るくなってほしいと願うのみ。そのうち夜が明けてきて、うっすらと囲りが見えてきた。どうやらこのハイツは大丈夫そうだが、向かいの文化住宅は、カベが落ちあちこちキレツが入り、かわらが大きくくずれ、見るからにキケンな感じがする。
そんなに寒くないのに雪が降っていた。開けっぱなした家の中から電話の音がした。電話は通じる!主人は家の中に入りグチャグチャの中から電話を探し出し、私の実家と主人の実家へ、無事を知らせてくれた。

【画像引用 神戸市HP】
明るくなって娘2人をつれ外へ出る。道にはかわらがちらばり、いつも子供が遊び場にしている、お寺のお地蔵様バラバラにふっとんでいて、寺の柱は土台からずれわずか1/4で支えている。こんな状況で子供を外に出しているのは危険と判断、家の中に入ることにした。靴を履いたまま上がることの意味を子供がつかめず、玄関でとまどっていたが、靴のままふとんの上にすわらせておき、改めてうすぐらい部屋の中をみわたして、ただただ脱力感のみ、カーテンを開けようにも、そこまでたどりつけない。
停電のままだ。いったい何が起こったのだろう?炬燵の囲りは割れた食器の破片だらけ。台所の鍋やザルが散乱し、大型テレビがころがり、ラジカセも落ち、重い和ダンスがななめに動き、上下がはずれて、足の踏み場もない。
何をどうしろというのか?脱力感というか、空虚な思いがする。片付くのだろうか?イヤ、とにかく片付けなければ。子供にこのひと部屋でじっとしていろというのは無理な話だ。主人と2人で食器を片づけることにする。北側の部屋にパソコンが入っていた大きな箱があったことを思い出し、主人が戸を開けようとしたが、散乱したものがいっぱいで開かなかった。体当たりに近い形で無理にこじ開け、どうにか引っ張り出し、外でいらないクッション用のスチロールを捨てていたら、まわりのみなが驚いていた。「もう片付けるの、すごいね」みんなまだ混乱しているんだ。
早く職場に行きたいらしい主人を無理にひき止め、ケガをするのが確実なガラスの処理だけはお願いする。主人は電話を職場に入れてその旨を伝え、ふたりしてもくもくと箱に投げ入れていく。大切にしていた食器が、たった十数秒の間にガレキになった。1枚割ったときに、あーもったいないと思ったし、自分で割るなんてことは絶対できないものなのに、今は危険な、いっこくも早く片付けなければいけない、ゴミになってしまった。しかし少しもはかどらない。それというのもこたつの上に降り注いでいる物だから、こたつをどかさなければ片付かない。こたつの上にはテレビがころがり、あちこちどかしながらの作業だ。ジャマになるものはとにかくベランダに出しながら少しずつ片づける。とその時電気がついた。水が出る。掃除機が使える。そうだテレビだ。こわれてなければいいけど。

【画像引用 神戸市HP】

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local_offerevent_note 2022年3月22日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます