テロルの清算(2)連合赤軍編

はじめに

山岳ベース事件現場
【画像引用 個人ブログ】
今回の記事は連合赤軍に関わるテロリズムについてのものです。同タイトルの(1)ではアニメ作品という「フィクション」を素材にしたものでしたが、今回の記事は実際にあった事柄に基づいて書きました。
記事を書くに当たって参照にした資料は以下の3作です。
「虚ろな革命家たち」(2022)佐賀旭(集英社)
「2022年の連合赤軍」(2022)深増義也(清談社)
定本「レッド」全4巻(2023)山本直樹(太田出版)
これ以外にもいくつかの書籍、映画、等を参照しています。
連合赤軍は1971~2年にかけて活動した新左翼の軍事組織です。別々に活動していた共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘革命左派が合流して結成されたものです。組織の委員長が森恒夫(1944~73)、副委員長が永田洋子(1945~2011)、書記長が坂口弘(1946~)です。連合赤軍は中国の毛沢東主義に大きな影響を受けており、軍事的な手段によって共産革命を達成しようというものでした。
連合赤軍の名を知らしめたのは「あさま山荘事件」と「山岳ベース事件」です。それ以外にも様々な事件に関わっています。この記事はそれらの事件を追いながら、当時関わった人たちの証言を入れながら、筆者なりに考察を行ったものです。資料は互い矛盾する要素があり、時間の経過と共に多くの記憶が失われています。なのでこの記事は「これが正しい事実だ」といえるものではなく、あくまでひとつの考えとして読んでいただけるとありがたいです。

テロルのイメージ

あさま山荘事件の様子
【画像引用 朝日新聞デジタル】
筆者にとっての連合赤軍のイメージは、やはり「あさま山荘事件」と「山岳ベース事件」が与えた衝撃です。事件の当時私はまだ小学生で、あさま山荘事件に関しては「悪い人が女性を人質に立てこもっている」という印象で、TV中継を観ながら「警察がんばれ」と思っていました。山岳ベース事件に関しては「仲間同士で殺しあう」ということが、小学生の筆者にはいまひとつピンとこず、とにかく「悪い人」なのだなあと思った次第です。中学生の頃から左翼思想に興味を持ちましたが、ふたつの事件に対する印象はあまり変わりませんでした。
大人になって知ったのは、このふたつの事件が日本社会に与えた衝撃はかなりのものだったことです。あさま山荘事件に関しては、警察官や民間人を射殺したことに対する批判が多かった反面、人質を丁重に扱ったことを含め新左翼勢力からは「英雄視」するようなこともありました。しかし山岳ベース事件に関しては、仲間内のリンチ殺人でしかなく、新左翼勢力は沈黙を決め込みました。新左翼勢力に対して批判的であった日本共産党は、すぐさま批判の声明を出しました。しかし一般の人たちから見れば両者とも左翼勢力に変わりなく、全ての左翼勢力はダメージを受け、安保闘争を中心に盛り上がった左翼運動は、一気に退潮することになりました。
その後も左翼運動は生き続けましたが、ベルリンの壁崩壊に始まるソビエト連邦の崩壊によって、世界的な左翼の凋落に繋がりました。そしてこれが現在にまで至っています。

テロルの始まり

連合赤軍委員長森恒夫
【画像引用 個人ブログ】
そんな私が今回、連合赤軍を取り上げようと思ったのは、上記の資料にも挙げた「虚ろな革命家たち」(佐賀旭)を読んだことでした。著者は1992年生まれのジャーナリストです。もちろん事件は彼の産まれる前に起こっており、著者の記憶の中にはありません。著者が興味を持ったきっかけは、三里塚に取材のために訪れたことでした。そこで疑問に感じたのは、ひとつの時代に大きな政治的抗議活動が行われ、それがなぜ沈滞してしまったのかということの理由でした。そして著者がいろいろ調べていく中で「連合赤軍事件で全てが変わった」という発言をたびたび聞いたことで、興味を持ったそうです。
特に著者が興味を持ったのは、連合赤軍委員長森恒夫の存在でした。森は連合赤軍の指導者で、さまざまな事件や行動は、彼の考えに基づいて行われていました。しかし森は逮捕後これまでの行動を自己批判し、拘置所内で首を吊って自殺しました。著者は森恒夫の人生を追いかけることで、一連の事件の謎を追おうとしたのです。
森恒夫は1944年大阪に生まれました。父親は大阪市交通局の職員でした。住まいは交通局の公舎で、今も下町の雰囲気を残す街だったそうです。高校時代は剣道部に所属し、当時の友人たちによると典型的な体育会系だったそうです。高校卒業後は大阪市大に入学し、そこで左翼思想に惹かれたようです。また当時は韓国と日本は「反共」という点で、同じ陣営でしたが、一方で戦前から続く、在日韓国人に対する差別が行われるという現実がありました。森青年が左翼に興味を持ったのは、その現実を幼いころから知っていたことが、大きかったようです。
高校卒業後、森恒夫は大阪市大に入学します。大阪市大は戦前にリベラルな運動が特高警察によって弾圧されるという負の歴史をもっており、そのためかこの時代は左翼系学生運動が盛んなところでした。ここで森恒夫は左翼運動に参加します。
森恒夫には多くの活動家が、森より偏差値の高い大学出身であることに根強いコンプレックスを抱えていたそうです。また運動のさなかに戦線を離脱した経験がありました。知り合いの活動家の取り成しで復帰しましたが、そのことに対して強い負の感情を抱いており、自身がリーダーになった時、「絶対に逃げられない」という思いを強めたようです。一方高校時代の同窓生の発言から伺えるのは「物事を自分では決められない」という性格だったことでした。そういったことが相まって、他者を頼りつつ一度決めたことは絶対に変えないという硬直した性格を生み出したようです。そしてそのことが山岳ベース事件を生み出す、遠因となったのでした。

テロルの連動


連合赤軍副委員長永田洋子
【画像引用 個人ブログ】
連合赤軍を語るうえで外せない存在が、副委員長の永田洋子です。永田洋子は逮捕後、獄中から発信を続け、多くの著作を残しました。それは自分たちの行動の過ちに対する贖罪と、マスコミの決めつけに対する反論が主でした。今回記事を書くために永田洋子の著作を参考にしようと思いましたが、残念ながら手に入りませんでした(この件に限らず、怪しげなネット情報が氾濫する一方、歴史的資料が手に入らなくなっていることが、少なくありません)。森恒夫に関しては「虚ろな革命家たち」と「2022年の連合赤軍」によって、おぼろげながら彼の全体像をつかむことが出来ました。しかし永田洋子に関してはいまひとつイメージが定まり切れませんでした。以下の内容は筆者の「憶測」がかなり入っているものとして読んでいただきたいと思います。
森と永田は互いの存在を認めつつ、ライバル意識を持つ関係でもありました。しかし両者とも実は自分の判断で決断できないタイプだったようで、どちらかが路線を決定すると、それに割と素直に従ってしまう面があったようです。
両者の関係性が現れているエピソードがあります。両者は合流する前のそれぞれの組織の代表的存在でした。連合赤軍は山岳地帯で活動を行っていましたが、森が永田のグループに対して「山岳での活動を行っているのに、なぜ各自が水筒を持参しないのか」と自己批判を迫りました。実際には沢に流れる水を飲めばすむので、水筒を持つ必要はあまりなかったのですが、森はそこを強く責めました。彼は自分の仲間に「これで主導権が握れる」と言っていたそうです。永田はこれに反論できず、これに対して永田が行ったのが、森側の女性のひとりが指輪をしていることを指摘し、「革命戦士としての資質に反する」として糾弾を行いました。いずれもささいなことでしたが、批判は徹底的に行われました。また森と永田は相手を直接批判するのではなく、互いのメンバーを批判するのが特徴的でした。「総括」はこういった流れが先鋭化していく中で行われるようになりました。

テロルの発動


マンガ「レッド」より
【画像引用 個人ブログ】
リンチを最初に行ったのは合流する前の革命左派です。スパイ容疑の女性をふたりがかりで絞殺しました。これを知った森は恐怖を憶えつつ、自分たちも覚悟しなければと思ったようです。
合流後最初に行われたリンチは、加藤能敬(1949~72)に対して行われたものです。加藤はある事件で獄中にいました、仮釈放を受け連合赤軍に合流しました。この間に上記の一連の事柄が起こっており、また獄中にいる別の活動家が連合赤軍によって断罪されました。これらのことを知らない加藤は、これまで通りの発言を行い、獄中の活動家を評価する言動も見られました。森と永田は彼を説得するのではなく、自分たちの存在を脅かす脅威とみなし、彼を否定しようと躍起になりました。加藤は自己批判を行いましたが、森も永田もそれを認めず、「共産主義化」という名の暴力を振るわれ亡くなりました。
ここから坂を転げ落ちるようにリンチが繰り返されるようになりました。
「総括」の理由は様々でしたが、「隠れてキスをした」「化粧をしていた」など些細なことがほとんどでした。森と永田にすれば自分たちの意見に少しでも異をとなえる存在を「反革命」とみなしました。「総括」は身体を拘束したうえで暴力をともなうものでした。
例えば自己批判をしても「そんな問題ではない」と難癖をつけ暴力をふるいました。暴力におびえ発言を撤回すると、「お前の自己批判はそんなものか」と言ってさらに暴力をふるいました。最終的に亡くなったのは12人に及びました。直接暴力で亡くなったのは4人で、残りの8人は、雪山の山中に拘束されて放置したことによる、凍死および餓死でした。犠牲者の中には妊婦もいました。
生き残ったメンバーは警察の包囲網から逃れるためベースを脱出しました。しかし森と永田を含む多くのメンバーは捜査中の警察によって逮捕されました。包囲網から逃れたメンバーはあさま山荘に辿り着き、「あさま山荘事件」を起すことになります。

テロルの爆発


あさま山荘事件の様子
【画像引用 AMAZON】
警察の手を逃れ5人のメンバーが逃亡を続けました。たまたま辿り着いたのがあさま山荘でした。あさま山荘は河合楽器製作所健康保険組合の所有する療養施設でした。当時1組の夫婦が管理人を務めていましたが、侵入当時施設にいたのは管理人の妻の女性のみでした。
5人はその女性を人質に立てこもります。計画的に行ったことではなく、他に選択肢が選べなかったためです。しかし女性を人質にすることは否定的なメンバーもいて、解放する意見も出ましたが、結局人質派が押し切る形になりました。警察側は拳銃が主な武器で、過激派側の所持する猟銃と比べて、不利な闘いを強いられました。激しい銃撃戦の末、2人の警官と、1人の民間人が射殺され、多くの警官が負傷しました。家族が呼び出され過激派への呼びかけが行われましたが、家族にも(威嚇でしたが)発砲が行われました。
過激派をライフルで射殺する案も出ましたが、当時の指揮官が「死ねば英雄になってしまう、絶対生きたまま逮捕すべきだ」と言いました。
警察側は、大音量の音を流し、放水、催涙弾の発射、鉄球による建物の破壊、など徹底的な行動を行いました。この時、過激派が思想的に依拠する中国が、アメリカの大統領を招く映像がTVで流され、メンバーのひとりが自分たちのやってきたことに疑問を感じたそうです。籠城から10日目、警察はあさま山荘に突入し、全員逮捕して人質の女性も無事救出しました。これにより連合赤軍は組織として完全に壊滅しました。

おわりに


映画「実録・連合赤軍あさま山荘の道程」(2008)より
【画像引用 U-NEXT】
長々と書いてきましたが、すでに50年余りの時が経っており、連合赤軍の名前も知らない世代も多いかと思います。しかし同世代である団塊の世代や、筆者の様なもうひとまわり下の世代にとっては、色々な意味で大きな事柄だったと思います。近年時間が経ったことにより当時の関係者が口を開き、そこで新しい事実も明らかになりました。筆者が参考にした書籍は、いずれもそういったことを踏まえて書かれたものです。
森恒夫の軌跡を追った「虚ろな革命家たち」、証言集である「2022年の連合赤軍」の両著作はかなり参考にしましたが、最終的に記事の構想が決まったのにはマンガ「レッド」の存在が大きかったように思えます、
作者の山本直樹(1960~)はいわゆる「エロマンガ」で著名なマンガ家です。筆者もそれらの作品を読んだことがありますが、エロマンガと言いながら、登場人物の虚無的な荒廃感が描かれており、時に文学的なたたずまいさえ感じさせる、かなり特異な作風のマンガ家でした。
山本直樹は筆者と同年代の方です。オウム真理教への興味から、組織における暴力の問題に興味を持ったのがきっかけだそうです。作者は作品のデティールにこだわり、登場人物のセリフは、証言集や回想録から取っており、また当時の風俗や文化も調べ、作品に反映させたそうです。
この作品で最もインパクトを感じた要素は、登場人物の上部に番号がふってあることです。この番号は物語の展開と共に、亡くなっていく順番をナンバリングしたものでした。人物名も固有名詞も全て架空のものに変えてありますが、内容を読めばすぐに特定できる描き方をしています。組織の創設から、あさま山荘事件に至るまで、主観を極力挟まず淡々と事実が描かれます。そのことによりかえって事態の残酷さが浮き彫りになってきます。
それ以外にも団塊の世代による著作を読みましたが、いずれの作品もなにか言い訳がましいものが多く、あまり共感が出来ませんでした。また山本直樹もインタビューで語っていましたが、女性の証言がほとんどなく、存在自体も等閑視されており、この運動の問題点が浮き彫りになっているように思えます。
筆者は同じ時期に、日本のリベラリズムや民主主義について述べた著作を読みましたが、それらに共通する視点として、「そもそも日本には民主主義はおろか、「近代」を迎えたこともなかったのではないか」ということです。そしてそのことが筆者には連合赤軍事件につながる、日本の「歪み」の根源にあるものではないかと思えるのです。
資料を細かく当たったつもりですが、間違った叙述もあるかもしれません。取り合えずこれが現時点での筆者の考えです。また別の視点から「テロリズム」について語ることもあるかも知れません。

【画像引用 AMAZON】

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local_offerevent_note 2023年7月4日
  • スピノザ

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