私の不登校の記録・後編

3児童相談所での日々と再登校

前回は、「私の不登校の記録・前編」という題名で、私の幼稚園時代から中学校時代に不登校に至るまでをお話ししました。「私の不登校の記録・後編」では、中学時代に不登校になった後から、高校時代までをお話しします。


ある日、親から児童相談所に相談を受けに行こうかと言われました。私は検査か何かをしてすぐに帰れると思っていたのですが、行ったその場で今日から一時保護所に泊まっていくように言われました。私はその時、親にだまされたということより、なんかこれで一区切りついてホッとした気持ちの方が強かったことを憶えています。
児相の職務の内容上、私のような不登校児だけでなく、養護施設に入る予定で待機している児童や、犯罪に手をそめ経過観察されている児童なども保護されていました。
日中は年齢に応じた勉学や運動を行い、夜間は2段ベッドの相部屋で過ごしました。
元々事案が異なる児童が一緒に集められている訳ですが、当時、特にその事に違和感を感じる事は無かったです。むしろ自分と境遇の違う児童と話が出来ることを楽しく感じてたように思います。
「不良」と呼ばれるような児童もいて、彼ら彼女らの口から、恋愛や性交渉についての話を聞き、どちらかというとそういうことには奥手だった私にはなにか未知の世界を覗いているような感じでした。
私が子供だった昭和40年代は、今ほど学年ごとに人間関係が分けられておらず、色々な年齢の子が一緒に過ごすことが多かったのですが、それでもここまで色々な年齢や境遇の児童が一同に介する場所は始めての体験でした。この時に感じたことが、後に福祉の仕事に就く際の原体験になったような気がします。また、元々食わず嫌いの偏食が多かったのですが、いやおう無くご飯を食べる環境に置かれたことで、偏食の改善につながりました。
児相での体験は管理されていることを除けば、私にとっては少なくとも学校より過ごしやすい場所と時間だったような気がします。
1月半余りの後、入ったときと同じように突然退所が決まりました。私はあまり深く考える事無く学校に戻りました。自分でもいい加減な感じがしますが、これも障害のなせるわざかなとも思います。
私は元の中学校に戻ることになりました。この時点で色々なことがふっきれたのか、これ以降は中学時代はあまり休むことなく通学していました。私は中1から中2にかけて不登校していたので、自分から2年生をもう一回行くように希望しました。中学校は義務教育なので極端に言えば出席0でも進学・卒業出来るのですが、自分の中に変なこだわりがあって、その辺りはきちんとしないといけないように思い込んでいました。当初は1歳年下の子が同級生になるということで、私自身だけでなく回りもどう扱っていいか戸惑っていたように思いますが、その内お互いに慣れていきました。
その後はあまり休むこともなく通学をしていました。ただ相変わらず積極的には勉強をしていませんでした。それと1年留年したとはいえかなり間が空いていたので、勉強の内容についていけませんでした。ただ継続性のない科目での実力テストではそれなりに点を取れたので、数学の教師から「山田君出来るのに何で休んでたの?」と言われました。後日この話を不登校体験者にすると「教師って勉強のできる子には優しいのよ」といわれました。

4高校時代の不登校

そうこうして入る内に高校受験の時期になりました。成績もあまりよくない上に出席日数も少ないため、昼間の学校は行けず家から近いという理由で定時制の工業高校へ行くことになりました。
今と違い当時の定時制高校はいわゆる素行不良と言われるような生徒(近年は「やんちゃ」と表現されることが多い)が多く来ていました。入学式の日、あまりにもこわもてのおにいさん達ばかりなので、私は次の日から2度目の不登校に入りました。
義務教育ではないせいか、親もあまり何も言ってきませんでした。中学時代の不登校と違い、良く外出しました。たまたま家の裏壁に映画館が看板を置いてほしいと言ってきて、そのかわりに1月に4枚ずつ無料の招待券をもらっていたので、私はそれを使ってよく映画館に行ってました。当時人気のあった松田優作の映画や、日本に紹介されたばかりのジャッキー・チェンの映画などを観ながら、現実逃避をしていたような気がします。
その時の担任の教師が(定時制は副担任がいたので、いつもふたりで来ていました)、度々家庭訪問に訪れるようになりました。中学の時の教師に比べて話しやすく、私の今でいうオタク系の趣味の話にも付き合ってくれました。親しくなっていくうちに分かったのですが、ふたりの教師は私より少し年齢が上で、いわゆる全共闘世代の人たちでした。担任のうちのひとりは、実際に学生運動をやっていたそうです。ふたりの教師以外にも仲良くなった教師が出来て、後々まで付き合いが続くことになりました。
それでもすぐに学校へ行こうとは思わなかったのですが、約1年の後に、「なんとなく」通学し始めました、どういう心境の変化があったのか、今となってはよく思い出しません。ただ、強制される事無く自分の考えで学校に行きだしたことから、現在問題になっているような不登校の人たちに比べてあまり問題が深刻ではなかったのかも知れません。
その後、高校時代にいろいろな体験をすることになりますが、今回のテーマから外れるため、ここで割愛します。またこの後仕事をするようになってから出社拒否をするようになるのですが、それもまた別の話です。

終わりに

以上自分の経験を述べてきましたが、今の状況とは随分様子が違うと思います。後に娘が不登校になり、親として対応する場面がありましたが、だいぶん昔と変わったんだなあと思いました。それと、改めて思い返してみると苦しいこともありましたが、割とのんびりした不登校だったなあと思います。それは上記の様にまだまだのんびりした時代だったこともありますが、学校以外の「世界」を持っていたことも大きいような気がします。中学生のころから小説(特にSF、後にミステリー)、映画、音楽、アニメ、思想、自然科学、等に興味を持ち、現実逃避的な面もあったとは言え、自分を保つことに繋がっていたような気がします。またこの時の経験が、その後の社会生活や人間関係を築く際に役立つことになりました。また、この体験が、親としてのふるまい以上に自分の子供に影響を与えたようです。
以上が私の不登校体験記です。

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local_offerevent_note 2019年10月10日
  • スピノザ

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