仮想現実と現実の狭間で 1

人はなぜ自分の信じたいものしか信じないのか?

現在、私たちは社会生活を営んでいくなかで、多くの情報に接しています。新聞、テレビ、ラジオ等のマスコミ情報。身近な人間関係から伝わってくる口コミ情報。学校や仕事の中で学ぶ専門的な知識、等。
しかし、多分それ以上に私たちがよく利用しているのは、スマホやパソコンで手に入るネットでの情報です。専門的な知識から、ゴシップ情報まで、タッチやクリックひとつで世界中の情報を手に入れることが出来ます。
私たちは人間の長い歴史の中で、これほどまでに大量の情報にあふれた世界の中で生きていることは、これまでなかったことだと思います。以前であれば書物でしか得られなかった様な知識を簡単に得られる様になりました。また例えば医療や福祉に関する社会的情報が広く共有されることによって、これまで手が届くことのなかった知識が伝わり、多くの人の命を救っている現実があります。

しかし一方で必要のない、むしろ共有されるべきでは無いような情報が、真偽が分からないまま拡散されています。しかもひとたび拡散された情報はたとえそれが偽りのものであると分かっても、素知らぬ顔で拡散を続けています。
例えばある意見や情報を提供した人に対して、それを複数の人たちが一斉に批判、中傷するいわゆる「炎上」という現象がネットではよく見られます。私も見るともなしに見ているのですが、ひとつの傾向が見られます。
例えば人の流した情報に対して、別の人が間違っていると言って書き込みすることが良くあります。特に趣味の話の場合、初心者は思い込みで間違ったことを書いてしまうことがよくあるからです。普通でしたら詳しい人が優しく教えてあげれば良いように思うのですが、なぜか「にわか」などと言って、相手の人格まで否定するような罵詈雑言で答えるケース(いわゆる「マウンティング」ですね)が多く見られます。
面白いのはその正しいとして書き込まれた情報自体がすでに間違っていることがよく見られることです。あまり専門的な知識ではなく、少し調べればすぐに分かるようなことを堂々と書いていることが良くあります。
私は家族にこの話をして「少し調べれば分かるし、ちょっと落ちついて考えれば分かることなのになあ」というと、「でも少し調べたり、ちょっと落ちつくということ自体が出来ない人がいるんだろうね」と言われ、なんかなるほどなあと思いました。結局、出来る出来ないの問題なのかなあと思いました。
しかし色々見ているとそれだけでは無いような気がしてきました。すぐに訂正が行われることも多いですが、間違いであることが分かっても、なお訂正されないことが多いからです。それどころか誤りを認めず、さらに上乗せするような情報が流されるケースがよくあります。
まあ個人の喧嘩で引っ込みがつかなくなって、どんどん言いがかりになるようなケースはよくあります。夫婦喧嘩なんてそう言うことが多いですよね。しかしそれだけでは説明のつかない場合があるように思います。

例えば芸能人関係ではよく取り上げられるのは、不倫や事件がらみの話です。倫理観や法に基づいて裁くような物言いが目につきます。相手が芸能人ということで敷居が低く、書きやすい面があるのでしょう。しかし芸能人でも色々有ること無いこと書かれるのは良い気持ちがしないと思いますが。
より問題なのが一般人が「炎上」の標的になるケースです。最近多いのは犯罪が起こった時、容疑者のプライバシーが暴かれるケースです。それ自体人権的に問題があると思いますが、それ以上に問題なのは間違った人物が容疑者として特定されるケースです。大半は名前が似てたり、年齢が近いとかで、誤って特定されています。
まったく関係のない情報が拡散され、覚えのない非難や中傷にさらされることになります。しかも事実が明らかになってもきちんと訂正されず、なし崩しでうやむやにされていることも多いようです。
また個人がネットで行っていることが発端であっても、その内容を確認しないままマスコミが煽り情報を拡散させることも多いようです。最悪の場合、精神的に追い込まれたり、仕事が出来なくなったり、冤罪にまで発展するケースも多いです。またこれらは訴訟にまで発展する場合も度々あります。
これらは誤解や勘違いだけで片付かない面があると思います。明らかな間違いを指摘されても、考えを改めないケースがあり、最初から人の意見を聞こうという考えを持っていないように思えます。しかもどうもそのことに当事者が無自覚な気がします。「考えなかった」のではなく「考えられなかった」のではないかと。

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local_offerevent_note 2019年12月11日
  • スピノザ

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