私の心療内科通院史(1)

不登校の時代

この記事は40年以上におよぶ、私の心療内科通院体験についてのものです。
最初に心療内科(*1)に通院したのは、不登校をした中学1年生の時でした。1970年代の中頃のことです。この時は自分の意志で行ったのではなく、親か学校に言われた行ったような記憶があります。しかしこの時期のことはあまり覚えておらず、結局なぜ行ったのか、なぜその病院を選んだのか、そして病院の名前や場所も憶えていません。
診察は医師からの聞き取りが大半で、なぜ学校を休んでいるのかいうことをよく聞かれました。しかし自分でもなぜ不登校をしているのか判らなかったので、聞かれるのがうっとおしかったです。他に写真を見てストーリーを作るような検査が行われましたが、なぜか馬鹿馬鹿しく思えて、少しふざけたことを言ってました。
結局は行ってもらちがあかない感じで、行くのを止めました。
その後、児童相談所の一時預かりに入ることになるのですが、ここではカウンセラー(*2)に色々話を聞かれました。しかしカウンセラーは学校に行くことが正しいという理屈で話しかけてくるため、自分でもそれは判っているけど、でもなぜか行けないということを訴えましたが、最後まで理解されませんでした。またこちらの発言を遮るような話の仕方をする面があり、今から考えるとカウンセラーの教科書に書いてある「やってはいけない」ことのオンパレードで、この体験が後に心療内科に行くことを躊躇わせたことにつながったように思います。

大学時代 

中学校の復学後、心療内科に行くような機会はありませんでした。しかし大学受験の際、最初に受けた学校に落ちた後に、精神疾患の症状が出てきました。1980年のことです。当時あまり多く出ていなかった精神疾患にかんする本を読むと、「離人症」が自分にあてはまるように思えました。
「離人症」は病名というより、症状を指す言葉です。自分が自分でないような感覚で、人に説明する時は、「望遠鏡を逆さにして世界を診ているような感覚」といっています。この症状は様々な精神疾患の前駆症状として現れる場合が多く、神経症(*3)、うつ病、双極性障害、統合失調症などに現れるとされています。この当時私は精神医学の本を知的好奇心で読んでいたのですが、精神分析の考え方がよく判らず、治療という名前で人格改造が行われてしまうようなイメージを持っており、病院には怖くて行けませんでした。
その後症状が移り変わっていき、自己診断ではありましたが、神経症ではないかと思いました。この際に森田療法(*4)の書籍を読み、自分に最も当てはまるような気がしました。しかし読んだ書籍は入院療法を勧めるもので、それはちょっと無理かなと思い、自己流に解釈して、それを生活に当てはめて対処していまし。大学時代にはいろいろ精神的な問題があったのですが、この方法で対処し病院に行くことはありませんでした。

最初の休職

1985年の4月に福祉施設に就職をして障害者の就労支援施設に配属になりました。しかし1か月ほどすると少しづつ精神状態が悪くなり、夏ごろには仕事に行けなくなってしまいました。この時に職場の上司からI医院を紹介されました。もうこの時には行くのを怖がっている余裕はなく、休職し通院することにしました。
この際にI医師より、「しばらく休みましょう」と言われ、仕事を辞めたいことを伝えると「かっこよく辞めるより、見苦しく残ることを選びなさい」と言われました。この言葉はその後精神的に辛くなるたびに思い出して、心の支えにしていました。
2か月あまり休んだのち職場に復帰しました。当時は病気に対する一般的な理解も薄く、かなり露骨な嫌悪感を見せられました。かなり針の筵状態だったのですが、なんとか頑張って極力休まないようにしました。当初は対応の悪かった上司もその後の働きぶりを見て認めてくれるようになりました。あの時に仕事を辞めなくて本当に良かった思いました。
その際に職場の対応が悪かったことをI医師に愚痴っていたのですが、「福祉の現場が精神医療の知識がないのも変な話やなあ」と言われました。その話を紹介してもらった上司に話すと「むしろ中途半端な知識があるから、一般の人より偏見が強いかも知れないなあ」と言われました。
当初は毎日のように通院していましたが、半年ぐらい経つと症状も落ち着き、調子の悪い以外は特に通院せず、半年に一回ぐらい現状報告で済ますようになりました。また短期間向精神薬を服用しましたが、1か月程度で終わり、それ以降は服薬をしていませんでした。
また日常的なケアの必要を言われ、森田療法の患者会である「生活の発見会」(*5)を勧められましたが、つい最近退会するまで30年あまり関わっていました。
私のなかではフロイト(*6)やユング(*7)の精神分析のイメージもあり、上述した「怖い」ものだと思っていたのですが、実際の治療は世間話に終始して、たまに趣味の話をしている感じで、少し拍子抜けしました。
*1 心療内科
心療内科
*2 カウンセラー
現在はカウンセラーに該当する複数の資格がありますが、1970年代には国家資格で該当するものありませんでした。この時点で児相の職員がカウンセリングをしていたのかはよく判りません。
*3 神経症
比較的軽度な精神疾患を指していましたが、近年では複数の疾患に分類されており、この名称が使われることはあまりありません。ただ森田療法では現在もこの名称が使われています。
*4 森田療法
森田療法
*5 生活の発見会
1957年に創設された森田療法による患者の自助グループです。断酒会(アルコール依存症)やダルク(薬物依存症)などのように患者によって運営されています。現在はNPO法人として運営されています。
*6 ジークムント・フロイト
ジークムント・フロイト
*7 カール・グスタフ・ユング
カール・グスタフ・ユング

ブログランキング・にほんブログ村へ
local_offerevent_note 2020年4月28日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます