私がボランティアで経験したこと(2)

1)に続き今回は大学時代のボランティアについての話です。高校時代のボランティアは薬害患者組織の事務所での活動で、患者さんと触れ合う機会はあまりなかったのですが、大学時代は介助ボランティアなので、触れ合う機会の多いボランティアでした。
高校時代のボランティア体験もあり、福祉に興味を持ち福祉系の大学に入りました。入学式のさいにサークルの勧誘活動が盛んにおこなわれており、出来ればなにか福祉系のサークル活動を行いたいと思っていた私に、ボランティアサークルからの勧誘がありました。
活動内容の説明を聞くと、このサークル自体は学内での啓もう学習活動が主で、実際のボランティア活動はそれとは別の、複数の実働サークルから、自身の興味をあるものを選び入るという形でした。またこのサークルはこの大学単独で行っておらず、複数の大学サークルが共同で行っていました。
活動紹介の後、単位登録の選び方を教えると言ってくれました。大学に行った経験のある方は判ると思いますが、基本的に決められた教科を履修するだけの高校時代までの授業と違い、大学では自分でどの単位を受けるかを決めなければいけませんが、これがなかなか難かしく、具体的にどの単位が取りやすいといったことを教えてくれるというのは大変ありがたいことでした。これは勧誘手段としてはなかなか良いアイデアだったと思います。
単位登録についてかなり丁寧に教えてもらい、教えてくれた通りに大学に提出しました。別に入部を強制するものではないと言われましたが、教えてくれた上級生の人柄にも好感を持ったので、入部することにしました。
入部すると実働サークルを選択することになりました。10以上の実働サークルがあったのですが、活動場所の関係で「在宅重度身体障害者の外出支援」と「親の会開催時の知的障害児の見守り支援」のふたつを選択することが出来ました。それぞれ活動見学をした後に、私は「外出支援」を選ぶことにしました。
この実働サークルは女子大を含む4つの大学の学生から構成されていました。まず最初に京都在住の在宅障害者によって成り立つ当事者の会があり、その会の中でも障害が重度で外出支援が必要な方が支援対象として選ばれ、一人一人の方に数名の学生が付き外出支援を行い、それを「ケース」という名称で呼んでいました。いわば障害者の当事者団体から「委託」を受けて支援を行っているという形になります。活動は基本的に週1回になります。これとは別に他の障害者や行事介助もあるのですが、この記事では「ケース」活動について書いていきたいと思います。

私は京都南西部に住む在宅障害者のケース担当になりました。当時40代ぐらいの男性の方で、お父さんと妹さんと一緒に生活していました。お父さんは大学教授でしたがこの時は既に定年を迎え、家で過ごされていました。妹さんは当時30代ぐらいで、家で身辺の介護をされていました。みなさん京都らしい落ち着いた感じで、知的な感じのする方々でした。主に近隣のスーパーでの買い物介助を行い、特に用事がない際は自宅にて談笑していました。またこの方は家電関係の知識を持っており、自宅で電気製品の修理を行っていました。その方自身は直接修理をせず、指示に従って妹さんが実際に修理を行うのですが、力が必要な時などに修理の手伝いをすることもありました。
私の入ったケースには後に妻になる人と、もうひとり別大学の女性の方がいました。のちに聞いた話だと、私が自分のケースに入ることを望んだそうです。この時点ではもちろん恋愛感情がある訳もなく、最初に勧誘したこと、やる気がありそうだったこと、その割にはなにか頼りなさそうで、心配だったからだとのことです(笑)。
外出介助のボランティアでしたが、若干遠慮されてる様子で、外出せずに家で話することが多かったです。父親はあまり出てこられず、妹さんはお茶を出すとすぐに下がられていました。しかもこの時の私は極端な人見知りで、しかもこの方にはかなり重い言語障害があり、なかなか話が弾まず、正直なところ「なにしに行ってんねんやろう」と忸怩とした感情を持て余していました。
妻ともうひとりの先輩はいろいろな事情があり、出席する機会が次第に減っていきました。妻は話上手だったのでかなり頼っていたのですが、次第に一人で行くことが多くなり、余計に気づまりな感じが増していきました。
しかしあることがきっかけでこの感じが少し変わりました。ある日、1日がかりの買い物介助をすることになり、妹さんと同年代の親戚の女性の方と一緒に行くことになりました。私ができるだけ介助をするようにして、妹さんと親戚の方には買い物に専念してもらうようにしました。
これまで妹さんは寡黙な方と思っていたのですが、親戚の方と非常によくしゃべり、私にも積極的に話しかけてこられ、少し失礼な言い方になりますが「近所のおばちゃん」感が半端ではなかったです。おそらく普段こんな話をする機会はあまりなく、こういう機会を使って気持ちよく話をされたのだと思います。この時に「本人も大変だけど、家族もいろいろ不自由で大変なんだなあ」と思い、「こういう機会を作るのもボランティアの役割なんだなあ」と思い至りました。このことで私の人見知りが治ったわけではないですが、以前より話やすくなったのは確かです。

2年生になって新しい学生がケースに入部してきました。と言っても新入生ではなく当時3年生の方で、私と同じ年齢の男性の方でした。また同じ大学サークルで、もうひとつのグループに参加していた2人の男性の学生を誘って、ケース活動を行うことにしました。しかしこの3人は社会性がないというか、傍若無人なところがあり、これまでとは雰囲気が変わり、騒がしい感じになりました。この雰囲気に感化されて私も積極的に話が出来るようになりました。おふたり共この変化を好意的に見てくださり、むしろ楽しんでいるように感じました。ある日皆で帰る際に「はよ帰るで」といいながら、ふざけて3年生のカバンを玄関のたたきに蹴りだすと、見送ってくれていた妹さんが大笑いされ、「この人はこんなに笑うんだ」と思いました。
妻は2年生で大学自体を辞め、私も事情があってサークルを辞めたのですが、その後もお宅の訪問を続け、サークルも私の行動を受け入れてくれたので、卒業までボランティアを続けました。その後新入生が入ってきたり、新しい人を誘ったのですが、「非正規サークル員」として後輩の指導に当たったりしました
卒業後も交流を続け、子供を連れていったこともありました(その時はすでに二人が付き合っていたことに、全く気付いていなかったと言われました)。また他のサークル員とも年賀状のやり取りを続けています。お父さんは最近亡くなられましたが、おふたりは今も元気で過ごされているようです。
以上が私の学生時代に行ったボランティア活動の話です。ボランティアに関しては他にもいろいろな話があるのですが、それはまた稿を改めて書いてみたいと思います。

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local_offerevent_note 2020年5月26日
  • スピノザ

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