私のアルバイト体験

高校時代のトラウマ・アルバイト

私は1970年代の後半に定時制高校に通っていました。
定時制高校の思い出
その中で体調面の不安があったのでは、昼間に就労もバイトもしていなかったことを書きましたが、実は1か月ほどバイトしていた経験がありました。書店でのアルバイトでした。
その書店は近くに大学のあるところで、バイトに行った4月はちょうど教科書の販売で忙しい時期でした。学生バイトの店員がいたのですが、学業の関係で辞めてしまい、ちょうどそのタイミングで、バイトをすることになりました。
仕事はレジ打ちと、商品の棚卸でした。今のようにバーコードで金額を入れて、金銭のやり取りを自動的に行うようなものではなく、商品の金額を数字キーで打ち込み、おつりの計算も自分で行いました。お釣りのやり取りで一番困ったのが、お釣りが出ないような金額で払ってくるお客さんがよくいましたが、今のようにレジで計算するのではなく、自分の頭で計算しないといけないので、お客さんが多い時はパニックになりそうでした。
この時期私の精神状態はあまり良くなく、アルバイト自体も初めてのためか、集中が続かず、次第に頻繁にミスをするようになりました。そしてミスを挽回しようと焦ってしまい、ますますミスを連発する悪循環にはまってしまいました。
1か月ほど勤めてころに突然店長に呼ばれ「辞めてほしい」と言われました。自分の状況は判っており、仕方ないと思いましたが、このまま辞めてしまうのもどうかと思い、もう少しだけ働かせてほしいと言ったのですが、こちらの願いはもちろんかなわず、辞めることになりました。

大学時代のアルバイト状況

このことがトラウマ体験になってしまい、大学生の時にサークル活動が忙しかったこともあったのですが、バイトに踏み切れず3年生まで仕送りのみで生活していました。しかしお金が必要な事情が出来たて、4年生からバイトを始めることにしました。
しかしボランティアも行っていたので、毎日バイトをすることは出来ませんでしたので。日雇いのバイトを選ぶことにしました。当時京都学生相談所(*)という下宿とアルバイトあっせんしてくれる機関があり、京都大学の近くにありました。
ここでは1~7日程度の募集がありました。短期バイトの申し込み方は、毎日同じ時間にバイトの募集があり、その際にエントリーされた表示の下に投かん箱があり、そこに登録した会員証を入れます。制限された時間が過ぎると、抽選が行われ、当たったものには用紙が渡され、後は自分で連絡して指定された日時と場所に向かいます。平日の場合は大体1回で当たるのですが、夏休みなどは学生が集まり、倍率も高くなりました。時間内なら何回でも出来るのですが、最後まで決まらなかったことも良くありました。しかしある程度は当たるので、頻繁に通いました。
バイト先は条件さえ合えば、どれでも募集できたのですが、私は工場の作業や引っ越しを選ぶようにしました。接客はあまりしたくないということもあったのですが、肉体労働の方がバイト単価が高いので選んだところがありました。

印象に残ったバイトあれこれ

一番よく行ったのが引っ越しのバイトでした。「大変じゃないですか」とよく聞かれましたが、実は意外とそうでもありませんでした。一番楽なケースでは1軒の引っ越しを行い、それで終わるケースです大体3時ごろには終わり、早い時には午前中に終わることもあり、それでも8時間分のバイト代をもらえるので、とても割の良いバイトでした。またお客さんによっては「ご祝儀」をもらえることもあり、また飲みものやお菓子をもらえることもありました(ご祝儀はピンハネされる場合もありましたが(笑))。だから何もなかったりすると「けち臭いなあ」と学生同士でぼやいていました(この時の体験があったので、自身の引っ越しの際は、きっちりご祝儀も飲み物もお菓子も出しました(笑))。
後、よく行ったののが工場での単純作業でした。同じことの繰り返しなので最初は結構大変ですが、慣れてくると余計なことを考えなくて済み、またバイト代も割と高額なので良いバイトでした。職種は様々で佃煮の製造、紙器の裁断、不良品のチェック、腐った野菜の選別など多岐に渡りました。これらの中で印象に残っているのは腐った玉ねぎの選別でした。夏場のバイトで、船便が遅れたいう事らしくて、大半が腐っておりその中から綺麗なものを選別する状態でした。暑さと匂いで大変なバイトで、3日間続けたのですが、軍手をしての作業だったにも関らず、1週間以上の爪先の匂いが取れませんでした。

エキストラに参加して


【画像引用 Hulu】
印象に残っているバイトの最たるものは映画のエキストラでした。五社英雄(1929~92)監督作品の「北の蛍」(1984)という映画です。太秦にある東映の映画スタジオで行われました。内容は明治初期の北海道が舞台で、開拓のために、囚人を労働力に使う歴史的事実を基に、刑務所の典獄と囚人との闘いを、ラブロマンスを絡めて描く作品でした。
エキストラは物語の中盤で起こる、囚人の暴動シーンに出演するものでした。当時の囚人は麻の囚人服と、わらで出来た三角帽子のようなものを頭にすっぽりかぶるものでした。演技内容はカメラの前を右往左往することと、看守役のエキストラとつかみ合いの闘いをするものでした。闘うシーンはカメラから見て一番奥の場所で行いました。「用意、スタート!」の掛け声とともにつかみ合いをしたのですが、思い切りやっていると看守服の破れる音がして、ハイテンションで行っていたためか、相手のエキストラ共々笑いが止まらなくなって、最後までゲラゲラ笑いながら行いました。奥の方だったこともあって特に問題はなく、OKテイクになりました。俳優の早乙女愛(1958~2010)さんと共演(笑)になりましたが、小柄でとても綺麗な方でした。
エキストラは出演時間は僅かで、ほとんどが待機時間でした。大部屋俳優の方が雑談をしており「今度の西村晃(1923~97)の水戸黄門はあかんなあ」などとしゃべっていました。休憩時間ぼーっとしていると、ちょんまげに羽織袴の俳優が自転車で走っていくのを見て、不思議な空間だなあと思いました

【画像引用 ameba】

役立った経験

必要のために行ったバイトでしたが、ここでの体験は後に就労支援の仕事に就く際に、色々と参考になりました。学生だったから出来たことだと言えますが、貴重な経験だっとと思います
* 京都学生相談所
詳しくは下記のサイトを参考にしてください。
京都学生相談所

ブログランキング・にほんブログ村へ
local_offerevent_note 2020年10月9日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます