私の聴いてきたJ-POP(1)男性編

J-POP聴き始め

これまでの記事で、私は基本的にクラシック系の音楽が好きだということを書いてきましたが、今回は好きなJ-POP系の音楽について書いてみたいと思います。中学・高校とクラシック系の音楽を聴いていましたが、現代音楽のフリーフォームの音楽が、ジャズのアドリブに近いことを知り、ジャズも聴くようになりました。またミニマル・ミュージックとの関連から、プログレッシブロックも聴くようになりました。
以下はそういった中から、特によく聴いた男性のミュージシャンについて書いてみたいと思います。

坂本龍一(1952~2023)

【画像引用 朝日新聞デジタル】
坂本龍一は1952年生まれのミュージシャン(キーボード)です。東京芸大に在学中からスタジオミュージシャンの仕事をしていました。大学ではクラシック系の音楽を学んでおり、ピアノ協奏曲などを作曲していたそうですが、一方でポップス系の音楽でキーボード弾いており、その中で当時最先端のシンセサイザーミュージックを学ぶなど、新しい音楽を貪欲に吸収していました。クラシック系の深い知識を持ちながら、ポップスや民族音楽の要素も取り入れ、世界的な有名になったYMOをはじめとして、1980年代以降のJ―POPシーンで活躍し続けてきました。高校時代から政治運動に関わっていましたが、近年は反原発運動などに関わっています。
私が最初に坂本龍一を聴いたのは、デビューアルバムの「千のナイフ」でした。いわゆる「打ち込み系音楽」の走りで、シンセサイザーをシーケンサーMC―8でコントロールした音に、ゲストミュージシャンのソロをかぶせた内容でした。全体的にアジア風の民族音楽的な要素が強く、リズム感も含めて私の感覚にフィットしました。
これをきっかけにして、テクノ、ニューウエーブ系の音楽も聴くようになりました。アバンギャルドとポップが絶妙な按配でミックスされており、今でもよく聴いています。ライブも度々聴きに行っており、少しクールで独特な感じが素敵です。
追記:坂本龍一さんは2023年3月28日にがんで亡くなられました。71歳でした。天国で先に亡くなった高橋幸宏さんとセッションをされていることでしょう。

坂本龍一「千のナイフ」より
【画像引用 楽天ブックス】

井上陽水(1948~)

【画像引用 文春オンライン】
井上陽水は1948年生まれのシンガーソングライターです。1969年に別名義でデビューするもほとんど注目されず、1972年に井上陽水の名前で再デビューします。この時期までフォークソングは政治性の強い曲がよく歌われていましたが、政治運動の鎮静化によって生じた時代の閉塞感に内容がフィットして、アルバム「氷の世界」(1973)は日本で初めてミリオンセラーアルバムになりました。1977年大麻所持のため執行猶予付きの懲役刑になり、しばらく活動を止めていましたが、その後復帰し現在に至るまで活躍を続けています。
私が最初に陽水の曲を聴いたのは、大学時代に陽水とビートルズの音楽の好きな友人に勧められた時でした。その時はベスト盤のカセットを借りて聴きました。1970年代の曲が中心でした。当時私は政治的な興味から反戦フォークを聴いていたのですが、なにかあまり音楽的にしっくりくるものがありませんでした。陽水の音楽は時代の雰囲気と、自身の当時の精神面の困惑に響くものがあり、結構よく聴きました。
大学卒業後、働くようになってから、初期のアルバムを集めて聴くようになりました。「傘がない」「ゼンマイ仕掛けのカブトムシ」「氷の世界」といった作品で、中島みゆきを聴くようになるまでは、日本の歌手の中でベストの存在でした。
ライブで聴いたことはないのですが、TVでコンサートが放送されると、今でも欠かさず聴いています。

アルバム「氷の世界」より
【画像引用 ミュージックカレンダー】

高橋幸宏(1952~2023)


【画像引用 Ameba】
高橋幸宏は1952年生まれのミュージシャン(ヴォーカル・ドラム)です。高校在学中から音楽活動を行い、加藤和彦(1947~2009)とサディスティック・ミカ・バンド、上述の坂本龍一、細野晴臣(1947~)とYMOなどで活躍しました。現在はソロのドラマーとして多くのミュージシャンと共演しています。高橋幸宏のドラムはこれまでの揺れ幅のあるロックビートに対して、テクノ系の正確なビートを駆使した演奏を行い、若いドラマーに大きな影響を与えました。またファッションデザイナーとしても活動しており、ブランド店を持っています。坂本龍一のデビュー時の衣装や、YMOの「人民服」風のデザインも作りました。(私は高校時代この店に行きましたが、あまりの場違い感にほうほうのていで退散しました(笑))。また若いころから神経症を患っており、治療の一環として釣りを始めたそうです。
私は最初に高橋幸宏を知ったのは、YMOを通してでしたが、同じ時期にテクノ風のソロアルバム「音楽殺人」(1980)が出たので、それを買って聴きました。とにかく一言で言うと「おしゃれ」なアルバムでした。歌詞の内容、メロディーライン、ドラムのビート感など、私には新鮮な音楽でした。当時、典型的なオタクであった私にとって、なかなか自分の中に取り込むのには難しい音楽でしたが、自身の音楽体験の幅を広げてくれた存在でした。
今年2020年に脳腫瘍を発症しましたが、大事に至らず現在療養中です(2020年11月現在)。また元気になられて活動される日を期待しています。
追記:高橋幸宏さんは2023年1月11日、誤嚥性肺炎で亡くなられました。70歳でした。天国でサディスティック・ミカ・バンドの加藤和彦(1947~2007)さんなどとセッションをされていることでしょう

アルバム「音楽殺人」より
【画像引用 ライブドアブログ】

ブログランキング・にほんブログ村へ
local_offerevent_note 2020年12月11日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます