私の聴いてきたJ-POP(2)女性編

矢野顕子(1955~)

【画像引用 ブルーノート】
矢野顕子は1955年生まれのシンガーソングライターです。幼いころからピアノを習い、高校時代にジャズに傾倒しました。1976年にデビューアルバム「JAPANESE GIRL」を発表しますが、ジャズ風のスタイルに、独特な歌唱法で歌われる歌が一躍注目を浴び、それ以降今に至るまで活動を続けています。
通常のレコーディングやライブ活動のほかに、ピアノ1台でどこへでも出かける「出前コンサート」を行っています。またソロ活動と共にいろいろなユニット活動も行っており、現在は森山良子と「やもり」や、ジャズミュージシャンと共に「矢野顕子トリオ」として活動しています。過去にはYMOのバックを務めたこともありました。また生前の忌野清志郎(1951~2009)と度々共演しており、亡くなった後もリスペクトアルバムを発表しています。
私が最初に矢野顕子を知ったのは、YMOのライブでのバックミュージックとしての存在でした。前述したような独特な歌唱法が、YMOの無機質な音楽とマッチしており、それから興味を持つようになりました。
初めてアルバムを買ったのは「ごはんができたよ」(1980)でした。バックミュージシャンをYMOのメンバーで固めたもので、独特のアレンジやメロディと対照的に、少女の幼い夢や恋心を歌った歌詞とのギャップが独特でした。その後数枚のアルバムを買い今でも時折聴いています。
数多い曲の中で私のお気に入りは「在広東少年」(1980)です。少し「ギリギリ」の攻めた歌詞と、エスニックなメロディが相まって、随一無二の作品に従っています。私はこの曲をボランティアサークルの歓迎コンパの「締め」で歌いました。どちらかというとうたごえ系フォークソング好きが多かったボランティアサークルの人にとって、この曲はかなり「異常」な曲に聞こえたようです。
最近は少し落ち着いた感じの曲を発表することが多く、それはそれでなかなか素敵な曲です。

アルバム「ごはんができたよ」より
【画像引用 ロジックストア】

椎名林檎(1978~)

【画像引用 グーグー情報局】
椎名林檎は1978年生まれのシンガーソングライターです。幼いころからピアノとバレエをやっていましたが、生後間もなくかかった先天性食道閉鎖症(*1)の手術の後遺症のためいずれも断念せざるを得なかったそうです。早くから歌手になることを目指していましたが、どうやってデビューしてよいのかが判らず、高校1年生の時にアイドルコンテストの「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に参加したこともあるそうです。
いろいろ紆余曲折がありましたが、1998年シングル「幸福論」と1999年アルバム「無罪モラトリアム」でデビューします、シングル「歌舞伎町の女王」(1998)で注目を浴びますが、1999年のシングル「本能」がミリオンセラーになり、同じ時期にデビューした宇多田ヒカル(1983~)と共に脚光を浴びます。
デビュー当時流行っていた「渋谷系」のシティポップ系の音楽とは異質のかなり特異な音楽性で、椎名林檎自身がなかば冗談でいった「新宿系」の名前が、70年代の「アンダーグラウンド」を想起させ、若い世代だけでなく70年代を知る年代層にも高く評価されました。
ただ椎名林檎自身は後のインタビューで、自分では単に新しい音楽を作りたかっただけで、歌詞に過剰な意味づけをされたことにかなり戸惑っていたと述懐しています。
ソロ活動を共に「東京事変」の名でバンド活動も行っています。また2016年のリオオリンピックの閉会セレモニーに参加し、2020年東京オリンピックの開会式・閉会式プランニングチームにも就任しています。
私が最初になぜ椎名林檎を聴こうと思ったのかあまり覚えていないのですが、アルバム「無罪モラトリアム」が最初のインパクトでした。全体にロックテイストのアレンジと、若干フォークっぽいメロディと、前述の特異な歌詞のアマルガムに魅了されました。特に「罪と罰」で、当時22歳ぐらいの椎名林檎が、あそこまでアンニュイな雰囲気を出せることが驚きでした。
その後結婚して子供ができ、以前に比べて落ち着いた楽曲を出すようになりました(なので私の娘は最近の曲があまり好きじゃないそうです(笑))。一時期すべてのアルバムとDVDを買っていましたが、現在も耳に入ればよく聴いています。

アルバム「無罪モラトリアム」より
【画像引用 ライブドアブログ】

大森靖子(1987~)

【画像引用 BARKS】
大森請子は1987年生まれのシンガーソングライターです。高校時代より活動を始めていました、特定の事務所に属さず、自身でマネージメントを行っていましたが、活動の幅を広げるため2014年にエイベックスと契約し、現在に至っています。一時期「大森靖子&ピンクトカレフ」の名でバンド活動も行っていましたが、2015年の解散後はソロ活動のみになりました。「激情派」と呼ばれていた時期がありましたが、名の通り激しい歌詞に、敲きつけるようなリズムとメロディを駆使し、いわゆる「メンヘラ」的な音楽を作り出していました。
私が大森請子を知ったのは「ハートネットTV」(*2)の出演と、映画「ワンダフルワールドエンド」(2015)を観たことでした。前者は番組内で学生時代にいじめられた経験を語っておりは、後者は蒼波純と橋本愛の主演による映画で、大森請子は楽曲の提供と出演をしています。大森請子の音楽はいじめられた原体験に根差しているところがありますが、椎名林檎が原体験を客観化して表出しているのに対し、大森請子は直接的な表現で感情を発露しており、ダイレクトに訴えかけるものがあります。しかしこの音楽性はある意味自身にとっては諸刃の剣で、かなり精神的な負担を強いているようで、度々伝えられる奇抜な行動も、こういったことから来ていると本人も認めています。
最初に何を買ったのかよく覚えていないのですが、印象に残っているのはデビューアルバムの「魔法が使えないなら死にたい」(2013)です。意図的に椎名林檎を模倣したアルバムデザインや、とりとめのない感情をつづった歌詞や、口語に寄り添うメロディが、私にはかなり切実な響きとして入ってきました。はっきり言って聴きやすい曲でないのですが、結構愛聴しています。今プロデュースしているアイドルユニットのことでゴチャゴチャしているようですが、早く落ち着いてまた活動を続けていってほしいと思います。

アルバム「絶対少女」より
【画像引用 プリズミズム】

おわりに

2回に渡って6人のミュージシャンを紹介してきました。興味があればまた聴いてみて下さい。

【画像引用 沖縄暮らしの記録】
*1 先天性食道閉鎖症
先天性食道閉鎖症
*2 ハートネットTV
ハートネットTV

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local_offerevent_note 2020年12月11日
  • スピノザ

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