関西のオーケストラ事情

関西在住のオーケストラ

朝比奈隆(1908~2001)大阪フィルハーモニー交響楽団の代表的な指揮者
【画像引用 YouTube】
現在関西地方には
大阪交響楽団(1980~)拠点:堺市
大阪フィルハーモニー交響楽団(1947~)拠点:大阪市
関西フィルハーモニー管弦楽団(1970~)拠点:大阪市
日本センチュリー交響楽団(1952~)拠点:豊中市
いずみシンフォニエッタ大阪(2000~)拠点:大阪市
京都市交響楽団(1956~)拠点:京都市
兵庫県立芸術文化センター管弦楽団(2005~)拠点:西宮市
といったオーケストラがあります
以下私の印象に残ったふたつのオーケストラを紹介したいと思います。

関西フィルハーモニー管弦楽団

オーギュスタン・デュメイ
【画像引用 KLAJIMOTO】
創設は1970年ですが、現在の名称になったのは1982年です。現在はオーギュスタン・デュメイ(1961~)、飯守 泰次郎(1940~)、藤岡 幸夫(1962~)の指揮者3名が中心になり演奏活動を続けています。定期演奏会は大阪市北区にあるザ・シンフォニーホール(1982~)で行われています。これまでベートーヴェン(1770~1827)、シベリウス(1865~1957)、ブルックナー(1824~96)の交響曲全曲演奏会などを行なってきました。
私の印象に残っているのは第300回記念定期演奏会(2019/4/29)と第302回定期演奏会(2019/6/14日)です。
第300回の演奏会でエルガー(1857~34)のチェロ協奏曲(1918)を聴きました。この曲はエルガーの代表曲で、映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」(1998~)の中でこの曲が印象的に使われており、私もそれでこの曲を知りました。曲の冒頭モノローグのようにチェロによって導き出される悲劇的な旋律が、オーケストラによって拡大され、劇的な展開を聴かせます。私は演奏も相まってか、その悲劇的な抒情性に打たれ、涙を流してしまいました。
第302回の演奏会では、日本人作曲家3人の作品が演奏されましたが、特に芥川也寸志(1925~89)の交響曲第1番(1954)に惹かれました。この曲は当時日本に紹介されていたソビエト連邦(現ロシア共和国)の作曲家の影響を濃厚に受けた作風ですが、オスティーナ―形式(短い旋律を繰り返す)による畳み掛ける曲調が、芥川作品のオリジナリティを感じさせます。

京都市交響楽団

広上淳一
【画像引用 日フィルHP】
当初は京都市直営のオーケストラでしたが、2009年に財団法人に移行しました。現在の首席指揮者は広上淳一(1958~)で、定期演奏会は京都コンサートホール(1995~)で行っています。有名な曲だけでなく、隠れた名曲や現代曲を積極的にプログラムに取り上げています。
私の印象に残っているのは第640回(2019/11/17)、第641回(2020/1/18)、第652回(2021/1/24)の定期演奏会です
第640回の演奏会の目玉はストラヴィンスキー(1882~1971)の「春の祭典」(1913)でした。バレエのための音楽で、初演の際は革新的な振り付けと相まって、ストラヴィンスキーの原始主義的な音楽は物議をかもし、劇場は公演中から賛同と批判の怒号が飛び交い、20世紀音楽史最大のスキャンダルと言われました。その後多くの聴衆に受け入れられ、名曲として知られるようになりましたが、この日の演奏は初演時を思わせる、力強く未だに前衛的なこの曲の響きを、よく体現していたように思います。
第641回の演奏会の目玉はショスタコーヴィッチ(1906~70)の交響曲第7番「レニングラード」(1941)です。この曲は第二次世界大戦、ロシアのレニングラードで行われた、ドイツ軍とソ連軍の闘いをレニングラード包囲戦(1941~4)描いたものです。闘いはレーニンの名のついた都市を巡って、互いのプライドをかけたものでした。闘いは900日余りに及び、ソ連側の死者は100万人を超えるとされ、その97%は餓死者と言われる壮絶なものでした。
この曲は闘いのさなかに作曲され、モスクワやレニングラードを皮切りに、ファシズムとの闘いを応援する曲として、世界中で演奏されました。しかしその後冷戦時代になると、ソ連の低劣なプロパガンダ曲と言われるようになりました。しかし作曲者の死後公開された記録により、ナチス・ドイツのみならずソ連政府の暴力をも告発しているのだ、という説が有力になり、現在再び名曲として評価されるようになりました。
当日の演奏は、前半の勇壮なテーマから、一転悲劇的な旋律への切り替えが絶妙で、鳥肌が立つような感慨を受けました。
第652回の演奏会の目玉は同じくショスタコーヴィッチの交響曲第5番(1937)です。当時のソ連では音楽に関する検閲・評価が厳しく、高名な作曲家であるショスタコーヴィチも例外ではなく、一連の作品が「荒唐無稽」や「嘘」と批判されました。ショスタコーヴィッチがそれを挽回すべく作曲したのが、この交響曲第5番でした。この曲も、英雄的な革命賛歌→低劣なプロパガンダ→革命の犠牲者を悼む鎮魂曲、とその評価が変転し、上記の第7番と併せて現在も続く政治と芸術の相克を体現した作品と目されています。
当日の演奏は、勇壮さの背後にある、悲劇的な情感を上手く汲みだしており、私は曲のコーダと共に、涙を流していました。

伝統芸術を巡る傲慢と偏見


【画像引用 サンスポ】
2012年、当時の大阪市長の橋下徹(1969~)が、大阪のオーケストラ事情に提言を行ない、当時の識者の文章によると「日本で有数のオーケストラの一つ、大阪フィルハーモニー交響楽団に対する補助金もカットされている。橋下氏は大阪府知事時代に大阪フィルに対して、6300万円の府補助金を全額カットした。市長になってからは、大阪市の補助金1億1000万円を凍結した。その後、削減幅は10%にとどめ、約1億円を支給する方針に転換した。その理由は、「3年の準備期間を置く」という市特別参与の提言を尊重するということだった(『産経新聞』2012年6月20日付)。ブレーンたちも急激な削減はやばいと考えたに違いない。」( 水島朝穂のホームページより引用)といったことがありました。
橋下徹氏は大衆向けの芸術に対しては寛容ですが、こういった人気のない(こともないのですが)伝統芸術はあまりお好みではないようで、こういった政策に繋がったようです。橋下氏の言動や行動は矛盾していることが多く、これらの政策や発言もどこまで本心で言ってるのか、選挙目当てなのかは正直よくわかりませんが、大阪都構想が2度に渡って否決されたことを思えば、評価は下されたと言うべきでしょう
しかし確かに一般の方からすると、「伝統芸術はお高くとまっていて、税金の無駄遣いをしている」というイメージがあるようです。
しかし橋下氏の提言を待つまでもなく、関西のオーケストラは自助努力を絶え間なく行ってきました。上記の京都市交響楽団の財団化もその流れから出た来たものでした。
関西に限らずオーケストラはこれまでも、大衆化の努力を続けてきました。具体的には①ファミリーコンサートを行ない、低年齢層を含む聴衆の拡大、②コンサート前にレクチャーを行ない曲への親しみを高める、③定期会員制による経済面の安定化、などです。橋下氏の「暴挙」は、結果的にはそれらの取り組みを加速させ、現在に至る安定化の礎になりました。私がクラシック音楽を聴き始めた1970年代は、名だたる音楽家のコンサートでも空席が目立つような状況でしたが、現在では満席でしばしばチケットが手に入らないこともあります。
コロナ禍は音楽界に大きな痛手を与えましたが、社会における芸術の存在の意味を問い直すことにも繋がりました。これからも数々の名曲がコンサートで聴かれることを、願ってやみません。

* 上記の文章を全文掲載しておきます。若干攻撃的な内容ですが、当時の雰囲気をよく伝えているので、ここに載せておきます。ショスタコーヴィッチの話とも繋がっているように思います。
権力者が芸術・文化に介入するとき

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local_offerevent_note 2021年8月6日
  • スピノザ

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