私の東京物語(6)

中野ブロードウェイ探訪

中野ブロードウェイを探検する上坂すみれさんと早瀬かな(1993~)さん
【画像引用 KAI-YOU】
東京旅行の最終日は中野ブロードウェイに行くことにしました。
中野ブロードウェイの名前を知ったのは、多分しょこたんこと中川翔子(1985~)さんのブログか何かを読んだときだったと思います。
その後、特に興味はなかったのですが、上坂すみれさんがいろいろところで紹介しているの見て改めて興味が湧きました。上坂さんは若いころから人間関係を築くのが苦手で、その孤独を癒してくれたのが、様々なアニメ、音楽、映画、小説だったそうです。そういった中でほしいCDやグッズが中野ブロードウェイにあることを知り、学生時代は入りびたりで、現在でも暇があれば通っているそうです。
中野ブロードウェイは1996年に開設したもので、下層階が商業関連、上層階がマンションの複合施設です。もともとは中野にあるふたつの商店街を繋ぐ施設として構想されました。諸般の事情によりこの構想はなくなりました。しかし施設自体は開設され、新たなショッピングセンターとして注目されるようになりました。
最初は普通のショッピングセンターとして賑わっていましたが、周辺地区の高齢化による集客率の低下で、しだいに撤退する店舗が増えていきました。
しかしこの空き店舗に最初に目を付けたのが、新古書店「まんだらけ」でした。中野はもとから芸人やミュージシャンが多く住んでおり、サブカル文化の発祥の地でもありました。このサブカル文化と「まんだらけ」が結びつくことで、中野ブロードウェイは「オタクの聖地」として再び脚光を浴びるようになりました。また設立時の予算の関係から、利便性の低い建築だったのですが、そのこともある種の「迷宮」として捉えられるようになり、かえって聖地化が進みました。
東京旅行の最終日、ホテルをチェックアウトして赴きました。しかし少し朝早く来すぎたため、まだあまり店舗が開いておらず、11時ころまで近くの喫茶店で時間をつぶしました。
1階は比較的普通の商店が多いのですが、2階3階にオタク系の店が集まっていました。最初に進出したまんだらけが新古書店だったためか、中古品などレア物グッズを扱っている店が立ち並んでいました。その中から私は古本屋とCDショップを中心に回りました。興味深いものがあっても、とんでもない価格設定のものが多く、なかなか手が伸びませんでした。その中から比較的手ごろな写真集やCDなどを買いました。「迷宮」は堪能できましたが、バリアフリー的には問題が多く、障害者や高齢者には少々敷居の高い場所でした。

中野ブロードウェイ内にあるまんだらけ
【画像引用 ホリディ】

旅の終わり

中野ブロードウェイを昼頃に出て、帰りの飛行機の時間まで時間があり、もう一応行きたいところは全部行ったので、時間つぶしで新宿をブラブラしました。新宿は仕事でホテルに泊まったことがありました。10年あまり前とはかなり店舗が変わっており、駅の雰囲気も変わっていましたが、人手の多いのは相変わらずでした。最後にスカイツリータワーに行くことも考えたのですが、時間はともかく体力の限界で、今回は諦めることにしました。
帰りも羽田から神戸空港へ飛びました。時間が夜間帯で窓が見える席だったので、到着直前の神戸と明石海峡大橋の夜景を観ることが出来ました。
かなり駆け足でしたが、いろいろと堪能が出来た旅でした。かなり出費が多かったので、しばらくは節約生活を心がけました。
3日間の東京見学はかなり駆け足で、帰ってから「あそこに行っておいてもよかったなあ」といろいろ思いました。それにしても改めて東京の一極集中の現実を感じました。実際今回観たライブや美術展は東京でしか観れないものでした。もともとライブの方は全国ツアーを予定していたのに、コロナ禍で東京のみになったもので、コロナ禍が一極集中をさらに推し進めたことになります。また思っていた以上にバリアフリーが進んでおらず、交通機関も使いづらく、今後起こりうる可能性の高い災害に対する備えに問題があると思いました
個人的な旅行体験を6回に渡って書きましたが、これから東京に行こうと思う方の参考になれば幸いです(行き先が偏ってるので、あまり参考にはなりませんが………)。

行けませんでしたが、写真だけ………。

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local_offerevent_note 2021年12月14日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます