「死」について

はじめに

この記事は「自死」についてのものです。読むにあたってはその点を考慮してお読み下さい。
身近な人が自死を行うことはそれほど珍しいことではありません。また自分自身自死を考えた方も多いと思います。また芸能人や有名人の自死がたびたびマスコミで報道されています。今回の記事は自死について様々な面から考察したものです

精神疾患との関連

自死にはいろいろな要因が挙げられますが、まず考慮したいのが精神疾患です。
貧困・差別・死別などが自死に大きな影響を与えていますが、同じ状況に置かれていても、自死を選ぶ人と選ばない人がいます。その判断に大きなファクターとなるのが精神疾患です。特に本人に精神疾患との自覚がなく、医療や支援と繋がっていないケースにおいて、自死が多くみられています。
精神疾患でもっとも自死に結びつきやすいのが「うつ病」です。うつ病では死にたくなる気持ちが強くなることが多く、「希死念慮(きしねんりょ)」と呼ばれています。状況の変化によって起こることが多く、上記に挙げた貧困・差別・死別といったネガティブな要因だけでなく、昇進・栄転、結婚・出産といったポジティブな変化によって引きおこされるケースも少なくありありません。いくつかの前兆が見られることが多いのですが、突発的に希死念慮に襲われるケースも少なくありません。
うつ病は心療内科やカウンセリングでの治療、向精神薬などによってかなりの改善が見られます。しかし完治は難しく継続的な支援が必要です。またグループワークなどにより、うつ病患者同志で話し合いの場を持つことも勧められます。
以前ほどではありませんが、まだまだ精神医療に関わることに対して敷居が高く、また精神障害に対する偏見も相まって、治療が生き届かない現実があります。社会全体が偏見を取り除き、治療に繋がるケースが増えれば、多くの自死を防ぐことができます。また家族や・友人などの理解や支援は重要ですが、あまり負担をかけすぎると家族・友人の心が病んでしまうこともあるので、第3者による支援が大切になります。

日本における自死の動向

日本は先進国の中ではかなり自死率の高い国です(世界47位)。日本より自死率の高い国は大半は、貧困率が極度に高い旧植民地国家か、独裁政権国家です。ただスウェーデン(同46位)、フィンランド(同36位)、ベルギー(同32位)といった安定した福祉国家でも自死率の高い国があるので一概には言えません。
日本の自死率を特徴づけているのは、若年者の自死率が高いことです。G7国家の中で、17~34歳の死因率においてトップを占めているのは日本だけです。他の国ではいずれも事故が最多です。G7以外の先進国では韓国も若年者の自死率が高い国です。
理由は様々に考えられますが、同調圧力や自己責任論が大きい日本において、若年者ほど社会からの圧力が高いように思います。それと高度経済成長期を若い時期に経験した世代が、その時代のすでに無効化しているロールモデルを、若年者に押し付ける傾向があることが若年者の生きづらさを強めています。そしてSNSによる匿名の言葉の暴力や、著名人の自死の過剰な報道がその傾向に拍車をかけています。
しかし、やはり大きな原因に考えられるのが、社会全体の貧困化ではないかと思います。旧世代には貧困化の実感があまりないように思えますが、若年者には日々切実な問題となっています(筆者の子どもとの会話からもそれを強く感じます)。それにこれから社会がよくなっていくという展望が見えないことも大きいように思います。また自死率は男性の方が高いのですが、コロナ渦以降女性の自死も増えており、社会の貧困化が女性の生活を追いつめています。
自死率の上昇は、精神疾患と社会状況の両面によって推移していくもので、どちらかだけを見ていても問題の本質は判りません。すぐに何とかなるような処方箋はありませんが、精神疾患に対する社会的支援、貧困に対する社会的支援、若年者の主体的な考え方を社会全体で受け止めていくこと、古いロールモデルを撤廃して、新しいロールモデルを創造していくこと、といったことが挙げられます。
自死を肯定的に捉えるのはあまり好ましくありませんが、自死を選んだ人を貶めたり、原因を必要以上に探ることは、かえって自死を考えている人の背中を押したり、遺族を傷つけることにもなるので止めるべきだと思います。

私にとっての死


私は発達障害からくるうつ症状があります。しかしあまり希死念慮に捉われたことはなかったように思います(初めて休職したときに少しだけありましたが)。「死にたい」ではなく「存在を消したい」と思ったことはよくありました。特に高校生のころ、自身の将来像が全く思い描けなくて、存在そのものを抹消したいと思っていました。またなんとなく30歳ぐらいまでしか生きていないのではないかと思っていました。
結婚して子どもが出来てからはそういう感情に襲われることはあまりなくなりました。代わって社会的責任からくるプレッシャーで、心が折れそうになることが多くなりました。ただ務めていたところ(福祉施設)が、休職が比較的しやすいところだったので助かりました。休職が出来ない職場だったらもう少し大変だったかもしれません。
ずっと妻より早く亡くなるのではと思っていましたが、実際には妻の方が早く逝ってしまいました。亡くなった直後はあちら側に行きたいとも思いましたが、自死をしたら妻のもとには行けないような気がしました(特にそういった信仰を持っているわけではないのですが)。今は割と平常心を保っていますが、時たま辛くなることがあります。
「緩慢な自死」という言葉があります。元々は健康に良くないことをし続けて、早く亡くなるようなことを言うそうですが、私の周りには「緩慢な自死」と言っていいような人が多くいたように思います。日ごろから不健康な生活をしていて、最後は無謀運転(と思われる)の事故で亡くなった人。生きる気力を失い次第に何もしなくなり、最後は飢餓状態で亡くなった人。オーバードーズ(薬物過剰摂取)が遠因で心臓疾患で亡くなった人。また亡くなった訳ではないのですが、借金などを抱えて失踪した人もいました。共通しているのは、生きるのに不器用で、他人には優しいのですが、家族とは必ずしもうまくいっていない人が多かったように思います。
私は災害などで、2回死ぬのではないかと思ったことがあるのですが、その時頭をよぎったのは、自身の死ではなく残った家族のことでした。なにか自分の死というのは、意外と大変なことではないのかと思いました。養老孟子(1937~)さんが、人間は自分の死を知ることは出来ず、理解できる死は常に第3者の死であること、ただ身近な人間の死は、自身の死に近しいことであると語っていました。
人は死を免れることは出来ません。どのように生きても最後に死は訪れます。それならばとにかく最後の日まで、穏やかに日々を過ごせたらと思っています。

ブログランキング・にほんブログ村へ
local_offerevent_note 2022年6月10日
  • スピノザ

    フィットボクシングでダイエットしてます