書評:「ソーシャルワーカーのための反『優生学講座』」(藤井渉)

本書の概略

本書は、著者が相模原障害者殺傷事件(以下相模原事件と表記)で受けた衝撃を受け止めていくなかで、事件につながる優生学の歴史を振り返りながら、現代において優生学がどのように福祉や医療に影響を与えているかを考察したものです(相模原事件に関しては以前私が書いた記事があるので参照してください)。
やまゆり園事件について思うこと
この本は全8章からなっています。
第1章は「リスク」や「責任」の名において、障害者の権利や行動の自由を奪おうとする福祉現場の考え方についてです。「それが障害者のためになる」という福祉従事者の考え方が、問題が起こった際に福祉従事者が「責任を取りたくない」という本音を正当化するものとして使われていることです。それは障害者の自己決定権を否定することでもあります。
第2章は相模原事件において被害者の名が匿名化されたことと、犯罪の防止のため精神障害者の行動の規制が法制化されようしたことについて触れ、障害者が個人としての存在を否定され、記号化されていることを語っています。
第3章は相模原事件が郊外の入所施設で行われたことから、施設の閉鎖性と、施設の存在が社会から隠されてきたことを指摘しています。
第4章は相模原事件の犯人像から、「障害者=犯罪者」とのレッテル張りが行われ、しかもそれはこの事件以前からのものであること語っています。
第5章は障害者の就労支援において、障害者が「役立たず」や「害毒」な存在であることが前提としてあること、また日本においてリハビリの出発点が「傷痍軍人」に対する温情の側面が強かった歴史を語っています。
第6・7章は障害者支援における優生学が果たした役割を、500年あまり遡って考察しており、この2章が本書を類書とは違う独自なものとしています。
第8章はここまでの内容を踏まえて、これからの障害者福祉の有りようを語って本書を締めくくっています。

津久井やまゆり園
【画像引用 ダイアモンド・オンライン】

本書から読み取れるもの

障害者が収容されたナチスの収容所、リジエーラ・ディ・サン・サッバ
【画像引用 個人ブログ】1~5章は、優生学を基軸にして、相模原事件を考察して、そこから排除される存在としての障害者像を検証しています。そしてこのことが障害者に対する支援(就労支援も含む)が、個々の支援者の意思を離れて、結果的に障害者を社会の外側で、入所施設に囲い込むことに繋がった歴史について語っています。また特に戦前の日本において、軍事面から「役に立つ」存在と「役に立たない」存在とに分断されていたことについて触れています。
西洋諸国においては、障害者(特に知的・精神障害)は自己決定能力を持っていない存在と見なされていました。日本ではさらにそもそも健常者においても、自己決定権という発想があまりなく、いわゆる「自己責任」も結果に対する責任で、決定権を行使したうえでの責任ではありません。近年は日本でも障害者の自己決定権が認められるようになりましたが、まだまだ施策の「対象者」として捉えられているように思います。
さらに6・7章においてこれらの施策の基になった優生学の考え方が、統計学や遺伝学を「改悪・改ざん」することで作り上げてきた歴史を掘り下げています。また優生学がナチスによって作られた印象がありますが、実はアメリカで発展した思想で、ナチスの考えはそこから影響を受けたという歴史的経緯について掘り下げています。(この点に関しては「弱者に仕掛けた戦争 アメリカ優生学運動の歴史」エドウィン・ブラック(人文書院)が参考になります。特にアメリカでは優生学の発展の陰に、人種差別思想があったという叙述に目を惹かれます)。

優生学の創始者のひとりフランシス・ゴルトン(1822~1911)
【画像引用 カウンセリングしらいし】

筆者が読んで思ったこと

優生保護法の紹介パンフ(兵庫県)(1966)
【画像引用 朝日新聞デジタル】
著作の内容は、私の要約した点以外にも様々な問題を取り上げているのですが、これらは実際に著作を手に取って、自身の目で確かめることをお勧めします。以下の文章はこの著作を読んで、私が感じたことがらについて触れたいと思います。
私はオフィス・ジョブエル(B型作業所)に勤務する障害者です。いわゆる「福祉の当事者」になります。一方ごく最近まで30年あまり福祉の仕事に就いていました。その点からいうと「福祉従事者」になります(ました)。この著作は特に「福祉従事者としての私」に突き刺さるものでした。
この著作の表紙の折り返し部分に以下の文章が書かれています。
「ここで少し意地悪な質問をしてみます。みなさんは、もし自分が強制不妊手術が行われた入所施設や精神病院の職員だったとして、強い同調圧力の中で、その行為をキッパリと否定することができるでしょうか―。」
この問いかけは、思えば自分の福祉従事者としての生き方に、常に突きつけられている事柄でした。
私が従事していた福祉施設は、公的な福祉法人で、複数の施設を抱える大規模なものでした。運営される施設は多岐に渡っており、私は30年の間に、様々な施設で働きました。
私はその中で公務員としてではなく、施設運営の受託を受けた民間組織の職員として働いていました。いわば「半公務員」的な存在です。しかしこれらはあくまで内部の事情で、対外的には公立施設の職員として利用者に接していました。従って私の言動や行動は所属している組織の考えとして行われることになります。しかしこの組織の考えは、必ずしも自身の福祉の考え方とは、合致しないものでした。しかも発達障害のため、自身の考え方をまとめて他者に伝えることが苦手で、そのことが30年にわたって福祉従事者としての私を悩まし続けることになりました。
私が仕事を始めた頃は、福祉の考え方は「支援」ではなく「指導」が主流でした。そのため現在の視点から見ると、パワハラ的な指導も多く行われていました。またこれは職員間でもパワハラ的な言動が見られました。これらのことは一般企業でも同じでしたが、福祉の専門性からベテランの職員は「職人堅気」の側面がありました。また公的施設ということもあり、お役所仕事の様相もありました。
上司同士で意見の違いもよく見られ、それが部下に丸投げされて、困惑することもたびたびありました。経験を積む中でやり過ごすことも出来るようになりましたが、そのことがストレスに繋がり、度重なる休職の原因のひとつであったように思います。そしてこれらのことが指導にも反映され、利用者の困惑をまねき、結果としてやる気をそいでしまうことも多かったように思います。
私には家族もおり、生活していくためと思い、多少のことは我慢していましたが、次第にそれに耐えられなくなり、定年退職を前にして辞めることになりました。もう少し頑張れたらという思いもありましたが、その時はやむを得なかったと思います。
さて最初に質問に戻って、もし仕事で強制不妊手術をすることになったら私はどうしていたでしょうか?さすがにそこまでいくと拒否したようにも思いますが、「断ったらクビ」ということであれば、考えたかも知れません。
今日これらのことは強く批判されるようになりましたが、当時は障害者のためになると信じて行っていたでしょうし、またおかしいと思っても、やむを得ず行っていた人も多いと思います。だからと言って「仕方なかった」と済ませることではないのですが。さらに私の場合は手術を受ける立場であったかも知れません。
福祉の有りようはかなり変わってきており、以前と比べればかなり良くはなっているように思います。しかし未だに施設での虐待や、障害者に対する差別は根強くあり、コロナ渦や格差の進捗によって、かえって悪くなっている面もあるように思えます。
この本は、そういった現状を考えていくうえで参考になると思えるので、出来るだけ多くの人に読んでほしいと思います。

太田典礼(1900~85)衆議院議員、優生保護法を推進した政治家のひとり
【画像引用 Wikipedia】

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local_offerevent_note 2022年7月8日
  • スピノザ

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