雨宮処凛とロスジェネ世代

ロスジェネ世代

ロスジェネ世代。おそらく色々なところで聞くことの多い言葉だと思うのですが、まずこの言葉の意味について書いてみたいと思います。
ロスジェネはロストジェネレーション(失われた世代)を略した言葉です。元々は第1次世界大戦後、社会の価値観に対して懐疑的になった世代を指す言葉です。第1次世界大戦は歴史上初めて、国民国家の市民が戦争に動員され、近代的な兵器による総力戦により大量死を招いた戦争です。戦争の影響は大きく、ドイツやロシアの帝政の崩壊を招く原因にもなりました。これまでの戦争にあった英雄的な側面は失われ、分子化された人間はただ殺される存在に堕ちてしまいました。
このことを目の当たりにした若い世代は、これまでの西洋的な価値観に疑問を抱き、懐疑主義に傾いていきました。この時代の感情を、アメリカの作家のアーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)や、スコット・フィッツジェラルド(1896~1940)は小説作品の中に残しています(*1)。
この言葉はこの後いろいろな形が繰り返し使われ、日本では1970年代に生まれた世代にロスジェネという言葉が使われるようなりました。この世代は2020年現在概ね50代前後で、バブル崩壊後の就職氷河期に社会に出た世代です。この世代はこれまでの日本で一般的であった、正社員としての右肩上がりの終身雇用というパラダイムが崩れ、非正規雇用による格差・貧困や、経済的な事情により結婚や子育てが難しく、また高齢化社会により大量に発生した要介護高齢者の生活を支えなければならなくなりました。
彼らは右肩上がりが幻想となった現代において、その現実を理解できない上の世代によって、「頑張ればなんとかなる」と叱咤され心身共に疲れ、多くの引きこもり者や自殺の増大を招くことになりました。
政治や経済もこの現実から目をそむけた結果日本社会は疲弊し、コロナ禍もあってどこから手を付けて良いか判らない状況に陥っています。

雨宮処凛(1975~)さんの活動

雨宮処凛さんは今年45歳のロスジェネ世代の活動家・評論家です。思春期の頃に激しいいじめにあい、社会に絶望した雨宮さんは、不登校、家出、リストカットを繰り返します。10代の後半に出会ったヴィジュアル系バンドに心を救われ、いわゆる「追っかけ」バンドのバックで踊ったりもしました。
その後小林よしのり(1953~)の「戦争論」(1998)や右翼の活動家鈴木邦夫(1943~)などの影響を受け、右翼団体に入り活動を行うようになりました。この際パンクやゴスロリファッションを身に着け、「ミニスカ右翼」(しかしセンスのない言葉やなあ)などと呼ばれるようになりました。そういったファッションはある種の「戦闘服」であったとも語っています(*2)。しかし次第に右翼思想に疑問を持つようになり、左翼系の雑誌に寄稿するようになりました。
雨宮さんの行動の根本には、ロスジェネ世代が社会的に「透明な存在」になってしまっていることに対する憤りがあり、それは現在の日本を覆う「新自由主義」的発想に問題があると感じるようになったそうです。この点に関して既存は権力もちろんのこと、リベラルや革新勢力も、現在の社会を前提としている点において、いわば「同じ穴の狢」的存在でしかないと感じたそうです。
この後、一時期オウム真理教に対する社会のパッシングを批判する活動を行ったりしていましたが、次第にロスジェネ世代の貧困問題に着目するようになり、ロスジェネ世代を「プレカリアート」(不安定+労働者の造語)と規定し、現在はそのための社会活動や執筆活動を行っています。また「やまゆり園事件」の植松聖(1990~)死刑囚と繰り返し面会を行い、裁判の傍聴記録と合わせて文章化しています。

希望に向かって

筆者はロスジェネ世代とその親世代の中間の世代になります。就職活動を行った時は、まだ右肩上がりとバブルの余韻が残っていたものの、上の世代ほどは恵まれた状況ではありませんでした。とはいえロスジェネ以降の世代ほどは困窮しておらず、大卒者の正社員雇用・結婚・子育て・家持ちも、なんとかかんとか実現していました。
しかし定年が近づくにつれ次第に右肩上がりではなくなり、実質的に減給が行われるようになりました。基本的に休職・産休要員であった非正規雇用も、しだいにそちらの方が多勢を占めるようになっていきました。
私たちの世代は上の世代らから「目的意識がない」言われ、「オタク」や「しらけ世代」や「新人類」(*3)などと冷笑されましが、結局彼らは職場環境の改善を拒み、莫大な退職金を手にして、いわば「食い逃げ」のような形で会社を出ていきました。
私たちの世代はこの不全感は、おそらくロスジェネ世代や、さらにその下の世代にとって、その生存さえ脅かすものとしてより強烈に存在しているように思えます。なのでロスジェネ世代の苦悶は、筆者にとっても他人事とは思えない切実さを感じました。同時にさらにその下の世代に(筆者の子どももそうですが)このような社会しか残せなかった悔恨の感情をも引き起こしました。
定年を前にして退職した筆者は、すでにリタイアした存在に思えますが、下の世代に残した問題は解決されておらず、このままなかったことにする訳にはいけないように思います。正直今の自分に何が出来るかはよく判らないのですが、雨宮処凛さんの活動や著作にそのヒントはあるように思えてなりません。
雨宮処凛さんは多くの著作を書かれていますが、筆者は下記の3冊をお勧めします。
「生き地獄天国」(ちくま文庫)
「ロスジェネのすべて」(あけび書房)
「相模原事件裁判傍聴記」(太田出版)

*1 失われた世代
失われた世代
*2 ゴスロリ
ゴスロリ
筆者の知り合いの娘さんが高校時代不登校になったことがありました。筆者の不登校経験からも、ある程度ほっておいて様子を見る方が、本人の自省を促し、新しい考えを導き出せるのですが、その時の教師は度々家に押しかけたり、休む際にいちいち連絡をおこなうように求めるなど、不登校に関する初歩的な心理学を理解しない稚拙な対応をしたそうです。その後最終的に退学することになるのですが、教師との最後の面談の際に、彼女はゴスロリの衣装とメイクで対面したそうです。彼女の両親はそれを見て「あ、もう戻る気ないな」と思ったそうです。その後娘さんは自分で新しい高校を見つけ、その後紆余曲折を経て、現在は仕事についているそうです。彼女にとってもゴスロリは戦闘服だったのだと思います。
*3 新人類
新人類
新人類帝国
筆者の中では後者のイメージです(笑)

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local_offerevent_note 2021年1月26日
  • スピノザ

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