書評:「私の愛、ナムジュン・パイク」(久保田成子)

今回紹介するのは「私の愛、ナムジュン・パイク」久保田成子、ナム・ジョンホ著、コ・ソンジュン訳(平凡社)という本です。この本は世界的に著名な美術家ナムジュン・パイク(1932~2007)と、同じく美術家の久保田成子(1937~2015)夫婦の人生を作家のナム・ジョンホ(1962~)が生前の久保田にインタビューしたものを、1冊の本にまとめたものです。本は韓国語で出版されましたが、ユ・ソンジュン(1974~)によって日本語訳されたものがこの本です。

久保田成子「デュシャンピアナ:自転車の車輪1、2、3」(1983~90)
【画像引用 日刊にいがた】
ふたりはそれぞれ別々の形で美術活動を行ってきましたが、出会った際にお互いの美術作品に共感し、その後愛情も育み、共同生活を経て1977年に結婚しました。ふたりとも様々なジャンルの作品に取り組みましたが、共通して積極的に取り組んだのがビデオ・アートとそれによるインスタレーションでした。
ナムジュン・パイクは理工系出身で、メカニックにも詳しかったので、映像を機械的な手段を使って変えるという方法を思いつきました。またそれ以前から様々なインスタレーション(楽器を破壊する、観客のネクタイをハサミで切り取る、等)を行なってきており、それらを融合する形で作品を作りました。また現代美術界でもタブーになっていた「性」を取り上げ、例えばシャーロット・モーマン(1933~91)というチェリストが、トップレスの乳房に、小型のTVモニターを取り付けて演奏をするというインスタレーションで、物議をかもしました。

シャーロット・モーマン
【画像引用 Yahoo】
久保田もインスタレーションアートを行なってきたのですが、ナムジュン・パイクの芸術にほれ込み、彼の影響でビデオ作品に取り組むようになりました。また影響を受けた美術家マルセル・デュシャン(1887~1968)の作品を、ビデオ作品に引用する作品を作りました。
ふたりは二人三脚で作品を作り続けましたが、芸術家としての矜持もあり、特に久保田はナムジュン・パイクのエピゴーネン扱いされることに悩み続けました。しかし次第に久保田の作品も評価されるようになりました。彼女が活躍した60~70年代の美術界は、まだまだ女性作家が活躍するためには敷居が高く、同時代のオノ・ヨーコ(1933~)や草間彌生(1929~)と共に時代の先駆け的存在となりました。

久保田成子「スケート選手」(1991~2)
【画像引用 日刊にいがた】

ナムジュン・パイクは晩年病気がちで、久保田は最後まで介護を続けその死を看取りました。この本は久保田の晩年に作られた書物ですが、出版後すぐに久保田も亡くなりました。この本はふたりの軌跡を描いたもので、フィクションかと思うほどにドラマティックな内容です。現代美術に興味のある方もない方も、一読されることをお薦めします。

【画像引用 本郷美術骨董館】

階段を下りる裸体(1975~6)

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local_offerevent_note 2021年8月10日
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